闇の中から闇を破るはたらきはでて来ない
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![]() 法語法話 平成14年 |
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人間を本当に自覚させるのが… |
めぐり合うたよろこびこそ… |
他力の生活は最後まで… |
かぎりない智慧と慈悲こそ… |
善人も悪人もひとしく… |
他力ということは… |
私は死ぬまで煩悩具足の凡夫です |
念仏の中で阿弥陀佛に… |
すべての自力は他力に… |
自分で自分の始末をつけ得ない… |
幸いを求めて弥陀を信ずる… |
たりき たりきと おもうていたが… |
闇の中から闇を破るはたらきは… |
山本 仏骨(やまもと ぶっこつ)
1910年、石川県生まれ
『入信への道』(本願寺出版社)より
つかんではだめ
浄土真宗の信心を「たまわりたる信心」をいいます。あるいは「信心をいただく」といいます。しかし、信じるのはあくまで私が信じるのであって、「たまわる、いただく」という表現に合点がいかないといわれる方もあります。
松野尾潮音(まつのおちょうおん)先生の書かれた本の中に、天龍寺(てんりゅうじ)の峨山和尚の話が紹介されています。和尚は、子どもがお参りすると大変喜ばれました。お参りのあとでご褒美をくれます。大きな瓶(びん)に入ったコンペイトウをもってきて、手でつかんだだけ全部あげようと言います。子どもは勇んで瓶の中に手を入れますが、手にいっぱいつかんでいるので瓶の口から手を抜き出すことができません。困っている子どもに和尚さんは言います。「つかんでいるコンペイトウを放しなさい」。つかんだだけあげると言っておいて、今度はつかんだお菓子を放せというのですから子どもは怒ります。しかし、実際に手を抜き出すことができないのですから、仕方なくつかんだお菓子を放します。
そして手を抜き出すと、和尚は言います。両手の手のひらを上にして差し出しなさいと。そこへ瓶をかかえてコンペイトウをあふれるほど与えました。そして優しく教えます。「よく聞くのだよ。お菓子はつかむのではないよ、いただくのです。仏さまの教えと同じだよ。つかむのもではなくて、いただくのもです。」
天龍寺は禅宗のお寺ですから宗旨は違いますが、言わんとしている心は大切に受け取りたいと思います。
光は仏の方に成就
熱心でまじめな人ほど、「信仰に徹底するとはどういうことか」、「どうしたら早く信仰がえられるか」と悩まれることが多いようです。どうも自分で確かなものをにぎりたい、確かめたいと確かめたいと思い込んでしまうようです。力(りき)んで力が入ってしまうのです。
「まだ、信心が足りません、もっと信心しなさい、心から信じなさい」と言われても、私の中からは本当の信心は出てこないのです。
私が仏さまを信じるはたらきは、私の中にはなく、じつは仏さまの方に完成されていたのです。闇を破る光は仏の方に成就されていたのです。仏さまが南無阿弥陀仏というみ名をあたえ、仏さまが仏のいのちのありたけをそそいで、必ずおまえを救おうとはたらきかけておられます。
ただし、私たちは「いただく」といっても、手のひらにいただくのではありません。聞いていただくのです。しかも、言語には空気を伝わる外的な言葉と、心に響く内的な言葉がありますから、仏さまのはたらきにはさわりはありません。
武田 達城(たけだ たつじょう) 大阪・千里寺
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。