幸いを求めて弥陀を信ずるのではない
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![]() 法語法話 平成14年 |
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人間を本当に自覚させるのが… |
めぐり合うたよろこびこそ… |
他力の生活は最後まで… |
かぎりない智慧と慈悲こそ… |
善人も悪人もひとしく… |
他力ということは… |
私は死ぬまで煩悩具足の凡夫です |
念仏の中で阿弥陀佛に… |
すべての自力は他力に… |
自分で自分の始末をつけ得ない… |
幸いを求めて弥陀を信ずる… |
たりき たりきと おもうていたが… |
闇の中から闇を破るはたらきは… |
毎田 周一(まいだ しゅういち)
1906年、石川県生まれ
『毎田周一全集 第四巻』(毎田周一全集刊行会)より
私は東京の真宗の寺に、五人兄弟の三番目として生まれました。顔を洗ったら急いで本堂に行って、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ) 今日一日いい日でありますように」と手をあわせ、それから食事をして登校するのが寺の娘としての習慣(しゅうかん)でした。
困っている人たちにさりげなく手を貸す祖母や母の姿(すがた)を見たり、老人ホームに住むお年寄りを一緒に訪(たず)ねることもありましたが、真宗と無縁(むえん)の人と結婚してからは、「南無阿弥陀仏」と称(とな)えることもないまま日々を過ごしてきました。
夫とともに日本各地を転々(てんてん)とする中で、自分が寺に生まれたこともまわりの人に素直(すなお)に言えないまま、五十の歳を越(こ)えました。若い頃の私には、「阿弥陀さまを信じて心おだやかに生きてこう」という気持ちはなかったのかもしれません。
そんな私が、東京郊外(こうがい)の庭のある家で、小さな家庭保育室(かていほいくしつ)を開いて十四年目になりました。行政の補助金(ほじょきん)をいただきながら、自宅で補助者や家族の協力のもと、働くお母さんの子どもたちを保育しています。大人たちの愛に包(つつ)まれ、すくすく育っていく無垢(むく)な子どもたちの姿に日々感動し、エネルギーをもらっています。
その傍(かたわ)ら、育児サークル「わははの会」を開いています。この会には、子育て中の地域(ちいき)の若いお母さんたちが毎週子どもを連れて通(かよ)ってきます。密室(みっしつ)で淋(さみ)しく子育てする毎日の中で、悩(なや)んだり虐待(ぎゃくたい)に走りそうな人も、ここへ集(つど)うことで元気になっていきます。
「もう十分がんばっているじゃない。それでいいのよ」と受容(じゅよう)し、励(はげ)ましてくれる仲間や先輩(せんぱい)がここにはいます。わが子をかわいがってくれる人にも出会います。「わはは」は母(はは)の輪(わ)であり、「わははと楽しく子育てしましょう」という場でもあります。
会の日以外でも、いつでも誰でも自由に遊びに来ていい場所です。チャイムも押さずに「こんにちは」と入って来て、ひとしきりしゃべったり遊んだりして、親も子も心を軽くして帰っていきます。そういう親子の姿を間近(まぢか)に見ることが私の喜びになってきました。
「孤独(こどく)になりがちな母親たちが気楽(きらく)に集まれる場所を」と気軽な気持ちで始めた会でしたが、私自身もいろいろな人に育てられながらずっと続いています。何の気負(きお)いも持たず、自然体でいたから、こうして十数年、この会が続いてきたのかもしれません。
「幸(さいわ)いを求めて弥陀を信ずるのではない」という法語は、世間(せけん)的な名声(めいせい)や富を求めて、「自分が、自分が」と思って暮らすことばかりではなくなった私にとって、すんなりと心に染(し)み入(い)る言葉です。大きな力によって生かされている私。私をそんな心境(しんきょう)へと導(みちび)いてくれたのは、私を育ててくれたあの家であり、真宗の教えだったのだと、ようやく気がつきました。
浜名 紹代(はまな つぐよ) 東京・保育ママ(家庭福祉員)
東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。