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他力の生活は最後まで努力せずにはおれない生活なのです

提供: Book

Dharma wheel

法語法話 平成14年

人間を本当に自覚させるのが…
めぐり合うたよろこびこそ…
他力の生活は最後まで…
かぎりない智慧と慈悲こそ…
善人も悪人もひとしく…
他力ということは…
私は死ぬまで煩悩具足の凡夫です
念仏の中で阿弥陀佛に…
すべての自力は他力に…
自分で自分の始末をつけ得ない…
幸いを求めて弥陀を信ずる…
たりき たりきと おもうていたが…
闇の中から闇を破るはたらきは…

book:ポータル 法語法話2002

宮城 顗(みやぎ しずか)
1931年、京都府生まれ
「真宗の本尊」(東本願寺出版部)より

 私は山深い過疎の村で開業医をやっています。いろいろなお年寄りにお会いできる機会に恵まれて、毎日が新鮮な日々を過ごさせていただいています。

「先生、明日は休ませてくれ」と、ある日お年寄りに言われました。

「どうしたの?」と聞き返すと、「明日は医者に行くから休みにさせてもらう。」

「・・・・・・。」

また、こんなある時は「ここしばらく顔を見なかったね」と、久しぶりの患者さんに問うと、「うん、具合が悪くて来れなかった」と、あっけらかんとした答え。自分自身本当にこの地域で役に立っているのか、自信をなくすような会話の連続ですが、なぜかいつの間にか一緒に笑っています。

「最近腰が痛くてたまらん、どうしてこんげになってしもうたんだろう」

「膝が痛くて歩けない、前はこんなんじゃなかったのに」

「どうして目がかすむんだろう、以前はよく見えたのに」

誰も決して「歳」のせいだとは思っていません。いわんや自分が高齢者になっているのに、気がつかない、気づきたくないようです。本当に自分がすでに、かなりの高齢だということに気づいていないのです。それでもひととおりの診察が終わると、ほとんどの方は「ありがとね」「おたがいさまで」「有り難うございました」「悪いねえ」など、それぞれの感謝の思いを言葉にされます。

 生まれた時からこの地域に住み、畑や田を耕し、子供を産み育て、野菜を作り、山菜を採り、長い冬の支度をしながら、すべて自然との密接な関わりの中で生活しています。

 はたから見ると、なんでそんなに一日中、一年中、一生懸命に働かなければならないのかと思うのですが、みなさん自然に、無我夢中に働いて「生きて」おられます。無性に働き続けるのが人生そのもののようです。

 ある日、おばあちゃんが具合が悪いというので往診に行きました。

「どうせもうすぐ死ぬから、死んだ時に先生に来てもらって、診断書を書いてもらえばいいだけですよ」と家族。「いや、訪問看護くらい受けたほうがいいですよ」と薦めると、「人の生き死には順番だから、本当にもうすぐ自分の番が来るから、そんなのいらない」と本人があっけらかんと言います。「なるほど」と関心(感心し)て間もなく、本当におばあちゃんは亡くなられました。おばあちゃんは自宅の自分の部屋で眠るようにしていました。

 特に大きな産業もないこの過疎地で、仏法との縁も決して深いとは思われない(勝手な思い込みかもしれませんが)お年寄りたちが、大きな自然、大きな力にすでに救われているという無意識の安心感の中で、自分の命を燃焼させて、自分の命の有り難さを何となく感じながら、ひたすらひたすら「生きて」おられます。また、自然にお迎えを待ち、静かにお迎えと一緒に旅立ちます。

 「スーパーマーケットがあったらいいのに」と、おばあちゃんがぼやきます。「どうして?」と聞くと、「自分の食べる分だけ、少しずつ食べ物が買えるじゃないの」と。「でも、畑であんなに野菜を作ってるじゃないの?」と問い返すと、「そう言えばそうだね。でも町に住んでたら、いろいろと便利だろうし、テレビで見ると何でも売ってるし」などなど。「じゃあ、町中に住みたいの?」と聞くと、「絶対やだね」の答え。

 ここにしか生きられない、ここにしか生きない、ここでしか死なないことを身に染み込ませながら、今日も働き続けられる喜びに、自然にお互いさま、おかげさま、有り難うという言葉をいただいているお年寄りたちです。

北澤 幹男(きたざわ みきお) 新潟・社会福祉法人理事長

東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。