かぎりない智慧と慈悲こそ仏の本質である
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![]() 法語法話 平成14年 |
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人間を本当に自覚させるのが… |
めぐり合うたよろこびこそ… |
他力の生活は最後まで… |
かぎりない智慧と慈悲こそ… |
善人も悪人もひとしく… |
他力ということは… |
私は死ぬまで煩悩具足の凡夫です |
念仏の中で阿弥陀佛に… |
すべての自力は他力に… |
自分で自分の始末をつけ得ない… |
幸いを求めて弥陀を信ずる… |
たりき たりきと おもうていたが… |
闇の中から闇を破るはたらきは… |
瓜生津 隆真(うりゅうず りゅうしん)
1932年、滋賀府生まれ
「仏教から真宗へ-仏教用語散歩-」(本願寺出版社)より
仏に成る教え
浄土真宗の教えは、長年聞いていると次第にこんがらがってややこしくなるという声を聞きます。これはどうしたことでしょうか。教えを伝える人の努力が足りないのか、聞く人の仏縁がととのわないのか、残念に思います。
こんがらがることを防ぐために、ここで私は一つの提案をしたいと思います。何事にも基礎と応用というものがあるように、浄土真宗を一言で表現している言葉を見つけ、いつもそれを土台にしながら法話を聞いたり法談をすれば、ややこしくなることはないと思うのです。お寺での法座は、それぞれが自分のお味わいを述べるので、いわば応用問題のようなものですから。
浄土真宗の教えを易しく説いていただいている言葉として、『歎異抄(たんにしょう)』の「他力真実のむねをあかせるもろもろの正教(しょうぎょう)は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや」(注釈版聖典八三九頁)をあげることができます。
その意味は、浄土真宗のことをあきらかに書いてくださっているたくさんの教えがありますが、それはみんな本願を念じ念仏を申さば仏になると言っておられるのです。そのほかにどんな難しい学問や理論も、私が往生することについては必要なものであると言い切っておられるのです。
さて、このなかで「仏に成る」ということについて注目してみましょう。私たちはよく「たすけてもらう」、「救っていただく」、「お浄土にまいらせていただく」という言葉を聞きます。しかし「仏に成る」ということを忘れてしまっては仏教ではなくなってしまうのです。仏教は他の宗教と違って、最後の目的は、私が釈尊(しゃくそん)と同じようにさとりの智慧(ちえ)をえて仏に成り、苦悩を超えることであります。神や仏の救いでは終わっていないのです。言いかえれば、どのようなすばらしい教えであっても、この私が仏に成れないようでは、その教えは私にとって仏教とは言えないことになります。
智慧と慈悲が私の上に
私が成らせていただく身の上、仏さまとはどのようなお方でしょうか。仏さまのお徳を、智慧と慈悲であらわします。慈悲とはすべての者を救おうとする心です。一子地(いっしじ)とも言います。相手の悲しみや痛みが、自分の悲しみや痛みとなる心です。智慧とは、その相手を救うために心理を深く洞察することを言います。
しかし、この私が仏さまの智慧と慈悲を完成していくのではありません。仏さまの智慧と慈悲が私の上に完成されるのであります。私の上にあらわれてくださるのであります。その私が何をするべきであるのか大切に考えたいものです。
武田 達城(たけだ たつじょう) 大阪・千里寺
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。