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人間を本当に自覚させるのが仏教であります

提供: Book

Dharma wheel

法語法話 平成14年

人間を本当に自覚させるのが…
めぐり合うたよろこびこそ…
他力の生活は最後まで…
かぎりない智慧と慈悲こそ…
善人も悪人もひとしく…
他力ということは…
私は死ぬまで煩悩具足の凡夫です
念仏の中で阿弥陀佛に…
すべての自力は他力に…
自分で自分の始末をつけ得ない…
幸いを求めて弥陀を信ずる…
たりき たりきと おもうていたが…
闇の中から闇を破るはたらきは…

book:ポータル 法語法話2002

蓬茨 祖運(ほうし そうん)
1908年、福井県生まれ
「『教行信証』の基礎講座」(東本願寺出版部)より

 かつて、仏教系の保育園の保母さんたち(今は保育士と言いますが)の研究会に講師として出席された蓬茨祖運(ほうしそうん)先生に、一人の保母さんがこんな質問をしました。

 「この間、私の勤めている保育園で、可愛がっていた一匹のうさぎが死にました。夕方、子どもたちが輪になって取り囲んでいる中で、庭の片隅に穴を掘ってその遺体を埋めてやりました。そして、<うさぎさんはこれから天国に行って暮らすんですよ。さあ、皆でうさぎさんが幸せになるように祈って、合掌しましょう>と言って、皆で合掌しました。翌朝、私が園に行くと、一人の子どもが私のところへ泣きながらやってきて、<先生は昨日、うさぎさんは天国へ行くって言ったのに、今朝掘り返して見たら、土の中で泥まみれになって死んだままでいるやないか!先生のうそつき!>って、私の体をぼんぼん叩くのです。私は困ってしまいました。先生、こんな時はどう言ったらいいのでしょうか」

 質問を受けた蓬茨先生は、しばらく黙った後、「私が答えを出す前に、ここにお集りのみなさんはどうお答えになるか、少し意見をお聞きしましょう」と言われ、数人に意見を聞かれました。「天国というのは西洋の考えだ。仏教保育をしているのだから、極楽とか浄土とか言うのが本当で、それがどのようなところかについて、日頃から子どもたちに教育しておく必要があった」「肉体はそこにあるけれど、魂は天国に行ったんだということを、分かりやすく説明すればよい」など、いろいろな答えが出されました。

 しばらくして、先生はこう言われました。「いろいろな答えわ提案されましたが、みんな間違っています。そういう時は、<うそを言ってごめんなさい>って、その子に正直に謝ればいいんです」と。

 あまりにも虚を衝いた答えだっだので、皆、ぽかんとしてしまいました。その後、先生がどんな質問をされたか詳しくは忘れました。しかし、「うそを言ってごめんなさい」という明快なことばだけは、今でも鮮明に心に焼きついています。愛するものの死に際して、「どうかあの世で幸せに暮らしてください」と願うことは、人間の情としては間違いであるとは言えないでしょう。しかし、そう願う心の中には、近しかったものの死ですら早く彼方へ葬り去って、あとくされのないように(死と関わりのないように)してしまおうとする人間の自己中心的な心が蠢いています。もの悲しげな葬儀が終わって出棺したとたん、塩をまいて死を追い払おうとするあの身勝手な行為の中に、人間の欺瞞が隠されていることを、ほとんどの人は気づいていないようです。

 「うそを言ってごめんなさい」とは。その自己中心的な欺瞞性に気づいた者の慚愧の心から出たことばに違いありません。親鸞聖人が顕らかにされた仏教は、人間のいい加減で不真実な心を照らす仏の智慧の光に出遇って、「まことなるこころなきみなり」(『唯信鈔文意』聖典558頁)と深く自覚させられていく教えであり、それを浄土真宗と定められたのであります。

蓑輪 秀邦(みのわ しゅうほう) 福井・仰明寺

東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。