三十九 寂しき悔 「九条 武子」
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酔ざめの 寂しき悔は 知らざれど
似たる心と つげまほしけれ
(九条 武子)
酒
武子夫人の歌の師は、佐々木信綱。九十一才で、この二日に亡くなりました。夫人のこの歌は、どうした時のであろうか。もてはやされたる後、威張り散らして自慢した後、人を悪く噂した後、人を疑い抜きたる朝、はげしく人を使いたる後、想う人に秘かに逢いたる後、長座をしたる帰り。
夫人は酔いを知らない、うらやましいと思う。私は酒の酔いざめの寂しさが、いやさに酒をつつしむ。思えば酔いの最中の、あの思い上がりたるおごりの心よ。それに酒は、うましの味がするを、いかにせん。まさに悪魔にさそわれて酒量をすごす。どうぞ酒席にて、酒をすすめないで下さい。もういい、と一言いった時は、誰も、ここらでつつしもうと、思っている時。そんなら、そのつつしみの心を、満足させてあげるため、すすめることを、やめるがよい。それが本当の親切である。
悔
とは申せ、のみすぎはやはり本人の過(とが)である。だから悔がつよい。酒にかぎらない。自分の心の誘惑に負けたことが、残念なのである。悪魔の誘いである。節度を守ろうとする人を、そそのかすのも悪魔である。悲しくも心に弱い。どうぞ寂しき悔からまもりたまえ。
(昭和三十八年十二月)