二十二 恋ごころ 「良寛上人」
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向ひゐて 千代も八千代も 見てしがな
空ゆく月の こと 問はずとも
(貞心尼)
君や忘る 道やかくるる このごろは
待てど くらせど 音づれもなき
(良寛)
恋
今から百三十五年前。良寛和尚は七十才、尼貞心は二十九才で、その門弟になりました。
貞心尼は、この老師を慕うのです。恋うのです。良寛和尚は、このよき弟子を愛(いと)しみます。貞心尼は、向い合った師と自分が、そのまま苔むす石になるまで、そのまま居たいのです。
仏の教は、月を指す指である。師に指導されて、月を見たいとは思わない。黙って師を見つめていたい。和尚は愛しの弟子を、想い待ちます。わしを忘れたか、道が草に埋もれたか、久しく言問うことのなきはいかにと案じます。
これは性なき恋いである。道の恋い。蒸留した恋いである。貞心尼は師に向い合っていた。
それだけで師は、われを磨き給う。師よ、月を指し給うなかれ。向い合う師こそ仏なる。和尚は弟子を想う。貞心よ、師を忘れたか、仏を忘れたか、仏道を歩まないのか、なぜ訪わぬのか。
十方衆生
相手の性を見てする恋ではなく、相手の中の仏性を恋うのである。仏に十方衆生と呼ばれた同士が、互いに温め合って行く心である。美しい仏心を恋い合う。念仏の夫婦、家族、同行仲間は、こう、つきあいたい。
(昭和三十七年七月)