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四十 報恩講 「狐雲」

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法悦百景 深川倫雄和上

二十一 いのちの葉 「浅原 才市」
二十二 恋ごころ 「良寛上人」
二十三 世は夢 命は露 「良寛上人」
二十四 無邪気 「良寛上人」
二十五 大風のごとし 「物種 吉兵衛」
二十六 他力 「物種 吉兵衛」
二十七 許す母 「与謝野 礼巌」
二十八 修正会 「九条 武子」
二十九 親さま 「足利 源左」
三十 常不軽菩薩 「宮澤 賢治」
三十一 見聞知 「深川 倫雄」
三十二 仕えてぞ「行基 菩薩」
三十三 ひとの涙 「九条 武子」
三十四 くるしみの壺 「九条 武子」
三十五 この善太郎 「善太郎」
三十六 提婆尊者 「梁塵秘抄」
三十七 職業すなわち仏道 「兼好 法師」
三十八 寂しさの秋 「三木 清」
三十九 寂しき悔 「九条 武子」
四十 報恩講 「狐雲」
ウィキポータル 法悦百景

門徒宗 娘も光る 程みがき
            (狐雲)

お寄講 にて見合うのは 二度目なり
            (狐雲)

お講

 明けましておめでとうございます。身は、法の器と申します。何より健康を、期待します。

 報恩講の季節でございます。江戸時代の川柳は、当時のお講を皮肉っています。お講は交際の場でもありまして、見合いに利用されました。娘は、寺参りというのに、光る程みがき飾って出ました。中には去年のお講での見合いが成功せず、二度目の見合兼用参詣という、手合いもある次第です。

 正午までの食事を斎(とき)といい、午後の食事を、非時(ひじ)と申します。お講に斎や非時が出るようになったのは、蓮如上人からです。本願寺では、報恩講中、毎日午前の日中法要がすむと、お斎があり、午後の逮夜法要がすむと、非時がでます。秀吉が諸候に号令した鴻の間で、門主出座の上、ともどもに膳につきます。斎は、仏制定の法食(ほうじき)であり、善根を増長す、とあります。

お斎

 また毎日、よるの勤行に、斎・非時の勤行がある。殊に一月十四日の斎の勤行は、毎年九ケ村(くかむら)同行の人々が、音頭を取る。福井県の山奥、穴馬(あなま)の同行達、十数人です。ここの先祖が、石山合戦の時、米をかついで参り、丁度お講なので、門主が御開山の前で、勤行させたそうです。

(昭和三十九年一月)