二十七 許す母 「与謝野 礼巌」
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浮き沈む われを幾代か 待ちませし
心ながきは 阿弥陀 釈迦牟尼
(与謝野 礼巌)
おや
礼巌は明治三十年、七十六才でなくなった。京都在の坊さんである。五十二才の頃、鉄幹が生まれている。礼巌は、子にきびしい父であったらしい。単に愛することよりも、きびしく愛することはむつかしい。
して、愛とはいい条、子を叱ることはあさましい。冷たい顔はする、大きな声はだす。子は難作能作で働いている。いたいけない。それでも父は、鍛えの色をくずさぬ。
仏前にすわる。温顔の前である。許しの仏である。仏よ、われは愛うすき父なり。仏よ、われは罪深き気短き父なり。仏よ、叱ることなく、心ながく、待ちまし給えり。心ながく
子
春日すら 父に嘖(ころ)ばえ 黙(もだ)をれば
母なぐさめて 餅食はせます
(与謝野 鉄幹)
鉄幹はこの頃十五、六才。父の心はわからない。父は雪の日も、木ほれ芋ほれ、風呂たけとのたもう。今日も今日とて、父に叱られた。母は、不機嫌な自分を見た。父の言分が正しい。自分が叱られるのは当然。母はそれを知っている。母の焼く餅の匂いはいい。黙っている自分に、母は多くを言わず、ひろし、餅をおたべ。あついうちがおいしいよ。母は父の為にも、自分の為にも、言いわけをしない。許しの母である。とんな時も、じっと待って、必ず許す母である。
(昭和三十七年十二月)