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二十七 許す母 「与謝野 礼巌」

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法悦百景 深川倫雄和上

二十一 いのちの葉 「浅原 才市」
二十二 恋ごころ 「良寛上人」
二十三 世は夢 命は露 「良寛上人」
二十四 無邪気 「良寛上人」
二十五 大風のごとし 「物種 吉兵衛」
二十六 他力 「物種 吉兵衛」
二十七 許す母 「与謝野 礼巌」
二十八 修正会 「九条 武子」
二十九 親さま 「足利 源左」
三十 常不軽菩薩 「宮澤 賢治」
三十一 見聞知 「深川 倫雄」
三十二 仕えてぞ「行基 菩薩」
三十三 ひとの涙 「九条 武子」
三十四 くるしみの壺 「九条 武子」
三十五 この善太郎 「善太郎」
三十六 提婆尊者 「梁塵秘抄」
三十七 職業すなわち仏道 「兼好 法師」
三十八 寂しさの秋 「三木 清」
三十九 寂しき悔 「九条 武子」
四十 報恩講 「狐雲」
ウィキポータル 法悦百景

浮き沈む われを幾代か 待ちませし
心ながきは 阿弥陀 釈迦牟尼
            (与謝野 礼巌)

おや

 礼巌は明治三十年、七十六才でなくなった。京都在の坊さんである。五十二才の頃、鉄幹が生まれている。礼巌は、子にきびしい父であったらしい。単に愛することよりも、きびしく愛することはむつかしい。

して、愛とはいい条、子を叱ることはあさましい。冷たい顔はする、大きな声はだす。子は難作能作で働いている。いたいけない。それでも父は、鍛えの色をくずさぬ。

 仏前にすわる。温顔の前である。許しの仏である。仏よ、われは愛うすき父なり。仏よ、われは罪深き気短き父なり。仏よ、叱ることなく、心ながく、待ちまし給えり。心ながく


春日すら 父に嘖(ころ)ばえ 黙(もだ)をれば
母なぐさめて 餅食はせます
             (与謝野 鉄幹)

 鉄幹はこの頃十五、六才。父の心はわからない。父は雪の日も、木ほれ芋ほれ、風呂たけとのたもう。今日も今日とて、父に叱られた。母は、不機嫌な自分を見た。父の言分が正しい。自分が叱られるのは当然。母はそれを知っている。母の焼く餅の匂いはいい。黙っている自分に、母は多くを言わず、ひろし、餅をおたべ。あついうちがおいしいよ。母は父の為にも、自分の為にも、言いわけをしない。許しの母である。とんな時も、じっと待って、必ず許す母である。

(昭和三十七年十二月)