「三十五 この善太郎 「善太郎」」の版間の差分
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2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版
この善太郎は 父を殺し 母を殺し
そのうえ盗人をいたし 人の肉をきり
そのうえには ひとの家に火をさし
そのうえには 親に不幸のしづめ
人の女房をぬすみ この罪で
どうでもこうでも このたびというこのたびは
はりつけか 火あぶりか 打首か
三つに一つは どうでもこうでものがれられぬ
(善太郎 七十才)
善太郎は、島根県有福温泉の近くの人で、安政三年二月八日、七十五才で亡くなりました。百六年前になります。
御意見
世間の人々がよく宗教的反省と申されます。なる程、いう人が、道徳的反省と少し区別をしていることはわかる。しかし私は、宗教的反省ということばを好かない。外のことは知りませんけれども、お念仏の者にとっては、宗教的反省ではない。
人さまはそうおっしゃるかも知れませんが、お念仏する人には、仏の御意見である。ここのところが大切なことだ。
私の反省ならば、私が心がわりすれば、反省の方もかわるだろう。
善太郎の告白は、人に告げるものでも、仏に申すものでもない。仏の御意見をひとり言するのである。われわれは、善太郎の心の内なるひとり言を、かいま見る次第となります。善太郎自身、自分のことばではない筈です。仏とは、五劫をかけて善太郎を反省した方、そして聞かせる方です。
(昭和三十八年八月)