二十一 いのちの葉 「浅原 才市」
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どがなら さいちや よろこばれるか
へ よろこびわ
わしのからだに こころのごとく
わしのこころに じひがみちみち
なむあみだぶつの ごさいそく
(浅原 才市)
お朝事
も早、6月でございます。今日も陽の光が、よりあかあかとした仏の光の中で、過ごさせていただきます。如来さま、お早うございます。御開山さま、お早うございます。
蓮如さま、お早うございます。今朝はようこそお参り下さいました。佐賀の甲斐さん、宮原さん、西市の福田さん、広島の川本さん、その外十人程でしょうか。
よかったですね。いい如来さまに値(あ)いました。いいお祖師さまに値(あ)いました。蚕が桑の葉をたべるように、たった一枚もらった人間のいのち。広さは七十年か八十年か。今日も味わってたべましょう。
このいのちの葉は、舌によっては地獄の味。舌によっては仏の味。舌によっては娑婆の味です。今や私の舌は、名号を称える舌になりました。今やこの命の葉は、仏の味がします。心はどこにあるのでしょう。
胸にあるのは心臓で、心ではない。頭にあるか。足先ふんでも痛い。足先にも心はゆきわたっています。心がからだにゆきわたるようにです。心に慈悲がゆきわたりました。
粗末な心にも、いい気持ちの心にも、なむあみだぶつが、満ち満ち染みつきました。申し上げようもない心のまま、染まって了(しま)いました。称え称えのご催促。へ、称えます。
(昭和三十七年六月)