三十八 寂しさの秋 「三木 清」
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あかつき光うすくして 寂しけれども魂の
さと求むれば川に沿い 道ゆき行きて 還るまじ
(三木 清)
寂しさ
昭和二十年、三木清は獄中で死んだ。高倉輝が脱走して来たのをかくまって、オーバーを与えたが、後にそのオーバーの名から、左翼の一人として捕らえられた。ある時は、龍谷大学に哲学を講じたこともある。若く惜しい人であった。三木清はかってヨーロッパに学んだ。ライン川の支流、ラーン川の畔を歩いた。遠く京の加茂川を思うたに違いない。歎異抄に深い影響をうけ、私にはこの平民的な浄土真宗がありがたい、恐らく私は、この信仰によって、死んでゆくと思うとかいている。また、真宗の盛んな西兵庫では、家庭の仏壇で、朝夕の礼拝が、人間の基礎教育の一つであったとも書いている。心の古里を求めて歩めば寂しい。寂しさに対面しないと、魂の里に行けない。川は流れて還らない。堤を歩くとそう思わずにいられない。川をさかのぼる。寂しさに対峙しつつ、あと還りのない道を行きゆきて歩く。寂しさの絶えぬ旅である。
寂しさの秋である。若き命は束の間の、よろめきゆく老来(おいらく)へ、緑を誇った草は、霜にしかれ秋はほろびの光。私を傷つける刃は、欲望の猛りである。寂しさとは、火の様な欲望が、永遠の真実に帰入する相(すがた)である。
(昭和三十八年十一月)