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三十八 寂しさの秋 「三木 清」

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法悦百景 深川倫雄和上

二十一 いのちの葉 「浅原 才市」
二十二 恋ごころ 「良寛上人」
二十三 世は夢 命は露 「良寛上人」
二十四 無邪気 「良寛上人」
二十五 大風のごとし 「物種 吉兵衛」
二十六 他力 「物種 吉兵衛」
二十七 許す母 「与謝野 礼巌」
二十八 修正会 「九条 武子」
二十九 親さま 「足利 源左」
三十 常不軽菩薩 「宮澤 賢治」
三十一 見聞知 「深川 倫雄」
三十二 仕えてぞ「行基 菩薩」
三十三 ひとの涙 「九条 武子」
三十四 くるしみの壺 「九条 武子」
三十五 この善太郎 「善太郎」
三十六 提婆尊者 「梁塵秘抄」
三十七 職業すなわち仏道 「兼好 法師」
三十八 寂しさの秋 「三木 清」
三十九 寂しき悔 「九条 武子」
四十 報恩講 「狐雲」
ウィキポータル 法悦百景

あかつき光うすくして 寂しけれども魂の
さと求むれば川に沿い 道ゆき行きて 還るまじ
              (三木 清)

寂しさ

 昭和二十年、三木清は獄中で死んだ。高倉輝が脱走して来たのをかくまって、オーバーを与えたが、後にそのオーバーの名から、左翼の一人として捕らえられた。ある時は、龍谷大学に哲学を講じたこともある。若く惜しい人であった。三木清はかってヨーロッパに学んだ。ライン川の支流、ラーン川の畔を歩いた。遠く京の加茂川を思うたに違いない。歎異抄に深い影響をうけ、私にはこの平民的な浄土真宗がありがたい、恐らく私は、この信仰によって、死んでゆくと思うとかいている。また、真宗の盛んな西兵庫では、家庭の仏壇で、朝夕の礼拝が、人間の基礎教育の一つであったとも書いている。心の古里を求めて歩めば寂しい。寂しさに対面しないと、魂の里に行けない。川は流れて還らない。堤を歩くとそう思わずにいられない。川をさかのぼる。寂しさに対峙しつつ、あと還りのない道を行きゆきて歩く。寂しさの絶えぬ旅である。

 寂しさの秋である。若き命は束の間の、よろめきゆく老来(おいらく)へ、緑を誇った草は、霜にしかれ秋はほろびの光。私を傷つける刃は、欲望の猛りである。寂しさとは、火の様な欲望が、永遠の真実に帰入する相(すがた)である。

(昭和三十八年十一月)