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三十五 この善太郎 「善太郎」

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法悦百景 深川倫雄和上

二十一 いのちの葉 「浅原 才市」
二十二 恋ごころ 「良寛上人」
二十三 世は夢 命は露 「良寛上人」
二十四 無邪気 「良寛上人」
二十五 大風のごとし 「物種 吉兵衛」
二十六 他力 「物種 吉兵衛」
二十七 許す母 「与謝野 礼巌」
二十八 修正会 「九条 武子」
二十九 親さま 「足利 源左」
三十 常不軽菩薩 「宮澤 賢治」
三十一 見聞知 「深川 倫雄」
三十二 仕えてぞ「行基 菩薩」
三十三 ひとの涙 「九条 武子」
三十四 くるしみの壺 「九条 武子」
三十五 この善太郎 「善太郎」
三十六 提婆尊者 「梁塵秘抄」
三十七 職業すなわち仏道 「兼好 法師」
三十八 寂しさの秋 「三木 清」
三十九 寂しき悔 「九条 武子」
四十 報恩講 「狐雲」
ウィキポータル 法悦百景

この善太郎は 父を殺し 母を殺し
そのうえ盗人をいたし 人の肉をきり
そのうえには ひとの家に火をさし
そのうえには 親に不幸のしづめ
人の女房をぬすみ この罪で
どうでもこうでも このたびというこのたびは
はりつけか 火あぶりか 打首か
三つに一つは どうでもこうでものがれられぬ
          (善太郎 七十才)

 善太郎は、島根県有福温泉の近くの人で、安政三年二月八日、七十五才で亡くなりました。百六年前になります。

御意見

 世間の人々がよく宗教的反省と申されます。なる程、いう人が、道徳的反省と少し区別をしていることはわかる。しかし私は、宗教的反省ということばを好かない。外のことは知りませんけれども、お念仏の者にとっては、宗教的反省ではない。

 人さまはそうおっしゃるかも知れませんが、お念仏する人には、仏の御意見である。ここのところが大切なことだ。

私の反省ならば、私が心がわりすれば、反省の方もかわるだろう。

 善太郎の告白は、人に告げるものでも、仏に申すものでもない。仏の御意見をひとり言するのである。われわれは、善太郎の心の内なるひとり言を、かいま見る次第となります。善太郎自身、自分のことばではない筈です。仏とは、五劫をかけて善太郎を反省した方、そして聞かせる方です。

(昭和三十八年八月)