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三十二 仕えてぞ「行基 菩薩」

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法悦百景 深川倫雄和上

二十一 いのちの葉 「浅原 才市」
二十二 恋ごころ 「良寛上人」
二十三 世は夢 命は露 「良寛上人」
二十四 無邪気 「良寛上人」
二十五 大風のごとし 「物種 吉兵衛」
二十六 他力 「物種 吉兵衛」
二十七 許す母 「与謝野 礼巌」
二十八 修正会 「九条 武子」
二十九 親さま 「足利 源左」
三十 常不軽菩薩 「宮澤 賢治」
三十一 見聞知 「深川 倫雄」
三十二 仕えてぞ「行基 菩薩」
三十三 ひとの涙 「九条 武子」
三十四 くるしみの壺 「九条 武子」
三十五 この善太郎 「善太郎」
三十六 提婆尊者 「梁塵秘抄」
三十七 職業すなわち仏道 「兼好 法師」
三十八 寂しさの秋 「三木 清」
三十九 寂しき悔 「九条 武子」
四十 報恩講 「狐雲」
ウィキポータル 法悦百景

法華経を わが得しことは 薪こり
菜つみ水くみ 仕えてぞ得し
           (行基 菩薩)


仏説

 日頃、法座に参って聞いておりますことは、私共にとっては、浄土の三部経である。行基菩薩が学ばれたのは、法華経ですから、お経は私共のとちがいます。しかし、何れも仏さまのお説きになったもので、人の説いたものではない。仏説であって、人説ではない。行基菩薩という方は、日本でただ一人、菩薩といわれる尊い方。千二百十四年前亡くなった。とても私共とは比べものにはならぬ修行をなされたに違いない。所が、法華経の奥義に達したのは、修行してからではないとの仰せです。薪を取ったり、芹や嫁菜を摘んだり、炊事や風呂の水をくんだり、そんな中に法華経がわかって来たという。

 そんなら私共、菩薩どころじゃない泥凡夫ですが、同じことをして来ました。何ぼ聞いても忘れ、聞いては忘れて、お参りしただけでした。水くみ、山ゆき、台所、みな平凡な暮しです。聞いて覚えたためしはない。だけど御本願はとてもすばらしいとなった。

仕えてぞ

 なぜだろう。仏教は平凡な暮しで得られるのだろうか。ただの平凡ではない。仕えての暮しである。水くみ、菜つみ、皆仏に仕えるのである。

(昭和三十八年五月)