三十二 仕えてぞ「行基 菩薩」
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法華経を わが得しことは 薪こり
菜つみ水くみ 仕えてぞ得し
(行基 菩薩)
仏説
日頃、法座に参って聞いておりますことは、私共にとっては、浄土の三部経である。行基菩薩が学ばれたのは、法華経ですから、お経は私共のとちがいます。しかし、何れも仏さまのお説きになったもので、人の説いたものではない。仏説であって、人説ではない。行基菩薩という方は、日本でただ一人、菩薩といわれる尊い方。千二百十四年前亡くなった。とても私共とは比べものにはならぬ修行をなされたに違いない。所が、法華経の奥義に達したのは、修行してからではないとの仰せです。薪を取ったり、芹や嫁菜を摘んだり、炊事や風呂の水をくんだり、そんな中に法華経がわかって来たという。
そんなら私共、菩薩どころじゃない泥凡夫ですが、同じことをして来ました。何ぼ聞いても忘れ、聞いては忘れて、お参りしただけでした。水くみ、山ゆき、台所、みな平凡な暮しです。聞いて覚えたためしはない。だけど御本願はとてもすばらしいとなった。
仕えてぞ
なぜだろう。仏教は平凡な暮しで得られるのだろうか。ただの平凡ではない。仕えての暮しである。水くみ、菜つみ、皆仏に仕えるのである。
(昭和三十八年五月)