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法螺を吹く (ほらをふく)

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法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 「法の鼓を打ち鳴らし、法螺を吹き、法の剣をとり、法の幢を建て、法の雷を震い…」(『真宗聖典』3頁)

 『大無量寿経』には、目覚めた法を衆生に説きひろめる仏・菩薩の姿が、さまざまな事柄にたとえられています。「法螺を吹く」ということも、そのひとつです。

 これは、説法の場に人々が集まってくる様子を、巻貝(螺)で作った楽器を吹き鳴らして人々を集めたことに、たとえたものです。「法螺貝」という名そのものが、仏法を説きひろめる螺という意味を示しています。

 ところが、法螺の音色を聞いて集まってみると、そこにいたのは「ほら吹き(実力以上に、いつも大げさなことを言う人)」だった…。

 法螺を吹くように人々に法を説いてまわったのはお釈迦様でした。しかしその弟子である私たちが、法螺を吹くというたとえを「うそをつく」ことに変質させてしまったのにまちがいありません。

 源信僧都の『往生要集』には、地獄に堕ちる者として「虚食信施者(むなしく信者の布施を食べる者)」が説かれています。また「不浄説法(覚ってもいないのに、さも覚ったように説法すること)」の者は餓鬼道に、そして信者の布施を自分のものにしながら、まったく罪の意識のない者は畜生道に堕ちると説かれています。地獄とは、仏弟子であることを名のった者だけが堕ちるのです。

 私たちはその地獄の底で、私たちのために鳴りひびく「法螺の音」をこそ、真剣に聞かなくてはならないのです。


埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2003年11月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。