快楽 (けらく)
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どう見てもこれは、「快楽(かいらく)」としか読めない。ついついエッチなことを想像してしまいます。しかし仏典では「快楽(けらく)」と読みます。字引には、「安楽。永遠のたのしみ。浄土のたのしみ」などとあります。また『仏説無量寿経』には「すでに我が国に到(いた)りて、快楽安穏(けらくあんのん)ならん」と記されています。
先日、お葬式で亡くなられた方のお顔を拝見しました。すると実に安らかな寝顔のようなお顔でした。私は、これが本当の安楽かもしれないと感じました。なぜなら、もう二度と起きなくてよい、働かなくてよい、食べなくてよい、争わなくてよい、病院に行かなくてよい、勉強をしなくてよいのですから。この世の楽には、やはり限りがあります。食欲や性欲や物欲は限界があります。眠っているときでも内臓や意識は動いていますから、どこかに緊張があります。
やっぱり本当の意味の楽とは、この世を超越していくところにあるようです。私たちは「一寸先は闇だ」といいます。つまり、「一寸先は死」だと。しかし、一寸先にこの世を超越できる出口があるということは幸せでしょう。一寸先に安楽への出口があるからこそ、この世を生きてみようかという意欲も湧いてきます。もしこの娑婆(しゃば)の生活に終わりがなく、永遠に続くことを考えるならばゾッとしますね。
武田定光 たけだ じょうこう・東京都因速寺住職
月刊『同朋』2001年1月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |