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縁起 (えんぎ)

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法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 「縁起」は仏教語の中で私たちに誤解されている言葉の筆頭です。例えば、朝一番のお茶に茶柱が立ったら縁起がいい。結婚祝は大安の午前中に持っていくと縁起がいい。病院にお見舞いに行くときは、鉢ものの花は根(寝)付いて縁起が悪いから切り花にするといい。などなど、数えたらきりがないほどです。

 しかし、もともと縁起は、因縁生(いんねんしょう)とも縁生(えんしょう)ともいうように、全ての現象・事物は何一つそれ自体で成り立つものではなく、無数の関係(縁)によって生じていることを表すものです。だから、私たちが平生に、縁起がいいとか縁起が悪いとかと言っているのは、そういう存在の絶対的現実に対して、自分の都合に合うものは縁起がいいと言い、都合の合わないものは縁起が悪いと言っているということなのです。

 それらは仏教でいう縁起の語を誤解して用いる使い方です。縁起とは、私の存在は、縁起として存在するのであって、私という一個の人間がそれだけで存在するのではなく、ありとあらゆるものとの繋がりの中で存在していることを表すものです。私たちの相互共存するいのちの事実を言い当てている言葉です。

 このような縁起が指し示す豊かないのちの世界に目覚めるならば、同時多発テロ、それに続くアフガニスタンへの武力攻撃に象徴される戦争などが、いかに人間の縁起的な存在であることを無視し、断ち切るものであるかを知らされることでしょう。縁起はそうした私たちの閉鎖的、独断的な生き方を問う、仏陀が目覚めた真理の法なのです。

尾畑文正 おばた ぶんしょう・同朋大学教授 月刊『同朋』2002年2月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。