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悪魔 (あくま)

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法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 矢のような尻尾を持つ黒い恐ろしい生き物。西洋の絵画に慣れ親しんだ私たちがもつイメージは<サタン>としての“悪魔”ですが、仏典に記された“悪魔”は、<マーラ>の訳語であり「いのちを奪うもの」という意味となります。

 「いのちを奪う」とは恐ろしいことですが、そうはいっても、むやみやたらといのちを奪うわけではありません。

 「道がさかんであれば魔もまたさかんになる、といわれるように、仏道修行においては、かならず魔の障難がそなわっている」(『西方指南抄口上本』)これは法然上人のお言葉です。つまり、仏道をこころざし、真実に目覚めることを「我がいのち」と選び取った者だけに、「そのいのち」を奪おうとして悪魔は現れてくるのです。「真実なんて、もう、いいよ」「こころざしなんか捨てて、楽しくやろうよ」と。

 でも、そこで「こころざし」を奪ってしまえば、悪魔の仕事は終わったわけですから、仕事をなくした悪魔は消えるしかありません。悪魔が消えたということは、「こころざし」も消えているのです。はたして、それでいいのでしょうか。

 実は「君の立てた、そのこころざしは本物か」と、「こころざし」の確かさを問うところに、悪魔は、悪魔としての仕事の本領を発揮するのです。だからこそ「こころざし」も自らを確かめ、悪魔の仕事を打ち破ることで、いよいよ「こころざし」そのものを深めていくのです。悪魔がいきいきと活躍する世界、それは、こころざしがいきいきと躍動する世界なのです。

埴山和成 はにやま・かずなり 大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2003年3月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。