一大事 (いちだいじ)
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1999年の自殺者は33,000人だそうです。そのうち7割が男性で、女性の自殺者数は減少しているけれど、男性は増えつつあるということです。これはまさに現代の「一大事」のように思われます。
自殺の動機は千差万別だと思われます。経済苦・病苦・人間関係苦等々だそうです。生と死のギリギリのところで、死の方を選んでしまったということでしょう。その選択を他人がどうこう言える筋合いはないと思います。ただ、その生と死のギリギリの選択のときに、「生」の方に重心が移るような手だてはないものかと思います。まあ果たして生の方が絶対によいのだという保証もないのです。しかし、とりあえず今は死に重心をあずけるのではなく、生の方に少し多めの重心をかけておこうという心の構えがつくれないものでしょうか。
蓮如上人は「後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」(『白骨の御文』)と語られています。この「後生の一大事」を私は「浄土に人生の最終的な結論がある」と受けとめています。つまり、これをひっくり返せば、この世に人生の結論はないということになります。あくまで、過程(プロセス)であって結論ではない。人生の様々な出来事・事件があっても、それを結論としない。この命が終わるときに人生の最終結論は出るのだと受けとめれば、生きることに幾ばくかの余裕が生まれてくるように思えます。
武田定光 たけだ じょうこう・真宗大谷派因速寺住職 月刊『同朋』2002年1月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |