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流行 (るぎょう)

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法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 「これが君自身だ」、流行をクリエイトする人たちが、「新しい自分」を提案してきます。言われてみれば、そのように感じてしまうから不思議です。でも、ちょっと油断をしていると「その自分はもう古いよ、今トレンディなのは〇〇な君」。ボーッとしてはいられない。いつも情報に敏感になって、次から次と更新される「新しい自分」を追い求めなければなりません。

 「私は私でありたい」という私たちの根源的な欲求に対して、さまざまな世界から「これこそがあなた自身だよ」という呼びかけがあります。確かに最新の流行(りゅうこう)を手に入れたい「あなた」がいるかもしれません。しかし、ちょっと、よく耳を澄ませてください。「本当の自分自身とは何か」ということに。

 そのつど提案される「新しい自分自身」を追い求めることは、「私は私でありたい」という根源的な欲求の「流転(るてん)のすがた」なのではないでしょうか。  「私は私でありたい」、この欲求は、実は存在の深みに降りていく根源的な願いでこそあるのです。

時がたてば色あせていくものではない、歴史と社会を、深みにおいて共にしている一切衆生(いっさいしゅじょう)という大地にその根があります。その根っこを自覚していきたい。この願いこそ普く流行するものだと親鸞聖人は私たちに教え示しています。永遠に流れ行く流行(りゅうこう)ではなく、どのような者にとっても根源の願いとして静かに流れ来る流行(るぎょう)に、しっかりと耳を澄ませたいものです。

埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2002年12月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。