殺生 (せっしょう)
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10月21日は何の日かご存じですか? アジア太平洋戦争後半、連合軍に追い詰められた日本は国家総動員法の下で、全ての国民を戦争に動員していきました。その中で、学業なかばの学生たちも、ペンを持つ手に銃剣をもち、戦地に向かいました。その最初の日が1943年10 月21日です。3万人の学生が学徒出陣として召集されました。
「そんな若い学生さんを戦地に送りだすなんて殺生な…」と言っても、それが歴史の現実でした。それこそ戦争という名の下に「殺生」な目に遭っていったのです。「殺生」とは一般的には「むごいこと、残酷なこと」という意味で使われますが、漢字の意味では、生き物を殺すことです。まさしく戦争とは殺生です。
しかし、「殺生」されたのは、侵略戦争の被害者となったアジア太平洋地域2千万とも言われる人々であります。これらの人々への謝罪と、不戦の誓いは日本の永久の責務だと思います。ところで、「殺生」に「不」の一字をつけると「不殺生(ふせっしょう)」となり、文字通り、仏教語になります。仏教では、「不殺生」ということを全面に出して、人間としてのあるべき姿を明らかにしています。
戒律(かいりつ)仏教においては、戒律の第一番目に「不殺生戒」が置かれています。これは、私は生き物を殺さないという誓いです。戒律とは誓いの実践です。しかし、戒律を立てない浄土真宗の仏教においても、人間を人間たらしめる原理としての阿弥陀の本願の第一番目には、殺し殺される世界としての地獄が課題とされています。地獄のない世界、それが浄土です。浄土こそ「不殺生」の世界です。本願が直接的に現わしている世界が「不殺生」なのです。だから、「不殺生」への願いは、浄土の願いです。もう二度と再び、「殺生」のために学生が戦争に動員されることのない世界を求めたいものです。
尾畑文正 おばた ぶんしょう・同朋大学教授 月刊『同朋』2001年11月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |