操作

世間 (せけん)

提供: Book

2007年9月6日 (木) 15:10時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 私たちは何かにつけて「世間」という言葉をよく使います。どんな意味で使っているか、少し考えてみましょう。何か困ったことがあっても、きっと誰かが手助けしてくれる。人間、そんなに捨てたもんじゃないよ。そういうことを「渡る世間に鬼は無し」といいます。最近では、全く反対に、薄情な世相を揶揄(やゆ)しているのでしょうか、テレビ番組に「渡る世間は鬼ばかり」というものまであります。  そのほか、「世間体が悪い」「世間に顔向けができん」「世間の物笑いになる」というように、私たちの行動原理にまでなっているような使われ方もあります。

 いずれにしろ私たちが用いる世間はわが家、わが村、わが国というような非常に狭い範囲を指しています。そういう狭い世界を「これでいいのか」と問うこともなく、むしろ、その「世間」を絶対化し、同調し、その中に自分自身を埋没させていくこととなります。

 しかし、仏教で「世間」という場合は、衆生(しゅじょう)世間<生きもの>と器(き)世間<生きものの生きる環境>を指していますから、私たちが生きる世界全体を課題にする概念です。この世界全体を言い当てようとする本来の「世間」の言葉に立ち返って、私たち自身と世界のありようを考えてみる必要があるのではないでしょうか。


尾畑文正 おばた ぶんしょう・同朋大学教授 月刊『同朋』2001年2月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。