操作

一蓮托生 (いちれんたくしょう)

提供: Book

2007年9月6日 (木) 15:05時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

「一蓮托生」とは、死後、浄土に往生して同一の蓮華に身を託すこと、と辞書にあります。

 最近では「死んでまでも一緒にいたくない」と、お墓を別にする人も増えています。そういう人にとって「一蓮托生」はありがたくないでしょうし、反対に、死んでも一緒にいたいと思う人にとっては「願ってもない」言葉となるでしょう。

 でも、どちらも間違っているのです。浄土は、私たちの願望を膨らませて実現した世界ではないからです。

 私たちの直接的な願望を親鸞聖人は「愛憎」と表現されています。その愛憎のままで「一蓮托生」すれば、ヤケクソで運命を共にする意味にしかなりません。

 運命という言葉を使うならば、私の都合に先立ってすでに運命を共にしているのが私たちの「いのち」の事実です。しかし私たちはその事実に暗いため、愛したり憎んだりしながら身勝手な都合のいい生き方に「いのちの満足」を求めているのです。

 愛憎を膨らませていく私たちの未来には、本当にこの「いのち」を生ききったという満足は生まれません。むしろ、私たちの都合、愛憎が、いのちに背く罪として照らされてこそ、いのちは本来のみずみずしさを取り戻すのです。

 「一蓮托生」は、愛憎をくり返すしかない私たちの生が、愛憎を超えて未来に一つの華となって開くことが托されている生であることを、今ここに指し示す教えの言葉なのです。

埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2002年6月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。