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微塵 (みじん)

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2005年9月5日 (月) 21:57時点における林遊 (トーク)による版

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法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 「タマネギをみじん切りにします…」とテレビの料理番組で聞くことがあります。「みじん切り」を漢字で書いてみてといわれると、なかなか難しいですね。

 この「微塵」とはもともと仏教語で、「目に見える最小のもの。ごく小さいもの。非常に微細な物質」のことだそうです。親鸞聖人は「微塵」をこんなふうに表現しています。「仏性すなわち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまえり。すなわち、一切群生海の心なり」(『唯信鈔文意』)。

これは「如来というものは、ものすごく小さいもので、世界・宇宙に遍満しているのですよ、だからこそあらゆる人間のこころでもあるのです」という意味でしょう。でも「如来が遍満しているから、私のこころでもあるのです」という表現には、そのままではつながらないものを感じます。親鸞聖人は「すなわち」という接続詞でつないでいるのですけれども、どうして「すなわち」でつながるのでしょうか?

 そして思い至ったのです。この疑問の中には「私のこころに如来などあるはずがない」という心が隠されているのだと。その心が逆に「すなわち」という接続詞を意味のあるものにしているのでしょう。つまり、まず初めに、私と如来とは断絶しているものだという思いがあります。その思いのところに、思いを破って如来はお前のこころでもあるのだよという摂取力を発揮するのだと思います。微塵は、ごく小さいことなのかと思っていましたら、実は宇宙に遍満している微塵なのですから、広大な宇宙観の表現でもあるのです。


武田定光 たけだ じょうこう・真宗大谷派因速寺住職 月刊『同朋』2003年9月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。