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超 (ちょう)

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2005年9月5日 (月) 21:45時点における林遊 (トーク)による版

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法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 「チョーおいしいでー」。私の隣で、小学校4年生のゆりかちゃんがコンビニのグラタンを食べています。「チョー腹が立つ」「チョーおもしろい」…これほど「超」がチョー使われる時代もなかったのではないでしょうか。価値観が多様化して、ちょっとやそっとの違いでは気持ちを表現できなくなってきたのでしょうか。ゆりかちゃんの言葉の意味を尋ねると、「ものすごく」「最高に」という響きを感じます。

 ところで「超」は「完全なさとり」を意味する仏教語です。相対有限という比較の世界を超え出て、絶対無限の世界を感得することをいいます。ゆりかちゃんも比較を超えたおいしさを、そのグラタンに感じたのでしょうか。

 ゆりかちゃんが言いました。「おじさん、食べたい?」

 絶対無限の世界といっても、独りよがりの世界ではありません。それは、隣のおじさんにとっても美味しいはず。「チョー」には、誰にでも通じるという意味があることが、ゆりかちゃんからも知らされます。「完全なさとり」である「超」も、そのように「一切衆生(いっさいしゅじょう)に超えて通じる」という意味があります。

 親鸞聖人はこの相対差別の苦しみの中、どこに一切の衆生がひとつになれる世界があるかを尋ねました。そして「名声超十方」、一切衆生に超えて通じる「南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)」こそ「完全なさとり」の用(はたら)きであり、その用きによって相対有限の比較の世界で苦しむ一切の衆生を救おうという、弥陀の本願の歴史に出会われたのです。

 親鸞聖人が現代におられたなら、「チョーサイテイ(最低)なる我らなり」と語られた?かもしれませんね。


埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2001年6月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。