他力本願 (たりきほんがん)
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よく誤解して用いられることばに他力本願という語がある。以前、政府のある大臣が国会の答弁で、「自分の国のことは自分でしなければならぬ、親鸞の他力本願では駄目だ」と発言したことがあった。
親鸞は、このような依頼心という意味でこの語を用いることはない。「往生は、なにごともなにごとも、凡夫(ぼんぶ)のはからいならず、如来の御(おん)ちかいに、まかせまいらせたればこそ、他力にてはそうらえ」(『御消息集』)。私たちは、何か大きな力に支えられて生きている。吐く息、吸う息、ひとつとしてわが力でできるのではない。他力は、その自覚の宗教的表現であるといえる。
安冨信哉 大谷大学教授・真宗学 大谷大学発行『学苑余話』生活の中の仏教用語より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |