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億劫 (おっくう)

提供: Book

2007年8月5日 (日) 19:56時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (1 版)

法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 「億劫」と書いて「おっくう」と読みます。ただしくは「おくこう」でしょう。それが俗語化したようです。

 もともとは仏教語で、「百千万億劫のこと。無限に長い時間。永遠」という意味です。それが現代では、「気が進まず面倒なこと。面倒に感じられるさま」に使われています。まったく「おっくう」な話です。現代は「忙しさの時代」です。小学生でも、お互いに遊ぶときにはアポイントメント(予約)をとるそうです。アポなしでは、遊ぶこともできません。

 まして大人社会では、予定の入っていない日がないくらい忙しい。日曜日すら予定が入っています。まったく生きること全体がオックウな時代になりました。「洗濯もしなきゃ、銀行へもいかなきゃ、買い物をして、次に郵便局にいって…」と考えるとオックウだなぁと思います。たくさんの仕事を前にして人間はオックウだと感じます。しかし、よく考えてみると人間にできることは、目の前にあるたったひとつのことです。手を動かす、足を運ぶ、耳で聞く、眼で見る。オックウと感じているのは「思い」です。「思い」は同時にいろいろなことを考えます。あれもこれもと考えます。

 しかし、実際にしている行為は目の前のたったひとつのこと以外にはないのです。私は「思いは抽象・体は具象」といっています。何が人間をオックウにさせるのかといえば、やはり「オックウという思い」なのです。たったひとつの行為の連続以外に生きるということはありません。この「思い」と「行為」の峻別こそが、生の新鮮さをたもつ秘訣だと思います。


武田定光 たけだ じょうこう・真宗大谷派因速寺住職 月刊『同朋』2002年10月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。