「流通 (るづう)」の版間の差分
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2007年8月5日 (日) 19:56時点における版
私たちの日々の暮らしはさまざまなものによってつくられています。特にあふれるような商品を媒介にした経済社会は私たちの生き方を根本から変えてしまう力があります。その商品が右から左へと流れることが一般的に使われる「流通」です。現代は電子化が進み、流通もますます盛んになりました。
流通が盛んになればなるほど、私たちの生活は豊かで便利になるのでしょう。しかし、その反面、私たちの欲望生活がますます刺激されて、いよいよモノの世界に埋没して、自然と共生する私たちを見失うこととなります。それは「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」と愛唱される世界が思い出のなかにしかない現実がよく現しています。
しかし、もともと仏教語としての「流通」は、釈尊の教言が全ての人々に行き渡ることを表しています。物欲に惑わされた私たちを問い、人間に立ち返ることを願う言葉です。
特に経典を解釈する場合に用いられる三分釈(経典を序分、正宗分、流通分と三つに分けて解釈する伝統的な方法論)で用いる「流通分」は、端的に、釈尊の願いがどこにあるかをはっきり表すものです。
経典を結ぶにあたって、後世にこれだけは伝えておきたいと釈尊が人間回復の根本課題を記している箇所です。文字どおり、人をして人たらしめる仏法が、いつでもどこでも誰にでも川の流れのように流れ、人々のこころに通いあうことを願うものです。商品を流通するのとは違いますね。
尾畑文正 おばた・ぶんしょう 同朋大学教授 月刊『同朋』2003年6月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |