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 胴上げが、合格発表の場面などでよく見うけられます。(遊びたい気持ちをよくガマンして勉強したね、おめでとう)。「我慢」のもとの意味は、実は「胴上げ」が象徴しています。「慢」という字は「思い上がりの心」を示しています。どのように思い上がるのかというと、我というものにこだわって、自分で自分を胴上げ?するのです。みんなから胴上げされるのと違って、ちょっと寂しいすがたです。
 
 胴上げが、合格発表の場面などでよく見うけられます。(遊びたい気持ちをよくガマンして勉強したね、おめでとう)。「我慢」のもとの意味は、実は「胴上げ」が象徴しています。「慢」という字は「思い上がりの心」を示しています。どのように思い上がるのかというと、我というものにこだわって、自分で自分を胴上げ?するのです。みんなから胴上げされるのと違って、ちょっと寂しいすがたです。

2007年9月6日 (木) 15:06時点における最新版

法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 胴上げが、合格発表の場面などでよく見うけられます。(遊びたい気持ちをよくガマンして勉強したね、おめでとう)。「我慢」のもとの意味は、実は「胴上げ」が象徴しています。「慢」という字は「思い上がりの心」を示しています。どのように思い上がるのかというと、我というものにこだわって、自分で自分を胴上げ?するのです。みんなから胴上げされるのと違って、ちょっと寂しいすがたです。

 仏教は諸法因縁生(しょほういんねんしょう)を説いています。すべてのことはお互い因となり縁となりながら、深く関係しあって存在しているということです。そこに私たちを支えている大地があります。しかし、その諸法因縁生を無視すれば、自分を支える大地をも失ってしまい、あとは自分で自分を支えるしかありません。自らを高く挙げる(高挙)ことによってしか生きることができないと思い込んでいる私たち。我慢とは、諸法因縁生に暗いという「根本的な迷い」を生きる私たちのすがたを指し示しているのです。

 たとえどんなに謙虚でガマン強い人でも例外ではありません。わたしたちは、仏の言葉をとおして、諸法因縁生という大地の存在を知らされることがない限り、永遠に自分で自分の胴上げをしていくことになるのです。

 「猶(なお)し大地のごとし、浄穢(じょうえ)・好悪(こうお)、異心(いしん)なきがゆえに」(真宗聖典55頁)。大地を知らされ、自らの胴上げから解放された仏弟子たちの感動の言葉です。


埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2002年3月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。