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 玄関のない家はないでしょう。玄関はどのお宅にもあります。しかし、「玄関」はもともと仏教語だったのです。もとの意味は「玄妙(げんみょう)な道に入る関門」です。つまり悟りへの関門ということです。
 
 玄関のない家はないでしょう。玄関はどのお宅にもあります。しかし、「玄関」はもともと仏教語だったのです。もとの意味は「玄妙(げんみょう)な道に入る関門」です。つまり悟りへの関門ということです。

2007年9月6日 (木) 15:07時点における最新版

法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 玄関のない家はないでしょう。玄関はどのお宅にもあります。しかし、「玄関」はもともと仏教語だったのです。もとの意味は「玄妙(げんみょう)な道に入る関門」です。つまり悟りへの関門ということです。

 玄関は内と外を分ける扉です。外へ出ていくところであり、外から内へ入るところです。出ることと入ることの両方を成り立たせる場所が玄関なのでしょう。出るだけの玄関もありませんし、入るだけの玄関もありません。入と出を共に成り立たせることが「玄関」のはたらきなのです。

 親鸞聖人の著書に『入出二門偈頌文』があります。 "入門と出門の二つのうた"と読めます。しかし、これは「入る門」と「出る門」の二つの門があるということではないように思います。むしろ、ひとつの門に二つのはたらきがあるといっているのでしょう。つまり「浄土へ入るはたらき」と「浄土から出るはたらき」のふたつです。

 そういえば、「この世」を超え出る宗教はたくさんありますね。「この世」を超え出て「あの世」なる世界へ行く。しかし「あの世」で止まってしまいます。もう一度「あの世」を超えるという課題が残ります。『ブッダのことば』(岩波文庫)には「この世とかの世をともに捨てる。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるようなものである」(下線筆者)と繰り返し語られています。「この世とかの世をともに捨てる」という<永遠の課題>が大切に思われます。

武田定光 たけだ じょうこう・東京都因速寺住職 月刊『同朋』2001年4月号より

 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。