「我慢 (がまん)」の版間の差分
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胴上げが、合格発表の場面などでよく見うけられます。(遊びたい気持ちをよくガマンして勉強したね、おめでとう)。「我慢」のもとの意味は、実は「胴上げ」が象徴しています。「慢」という字は「思い上がりの心」を示しています。どのように思い上がるのかというと、我というものにこだわって、自分で自分を胴上げ?するのです。みんなから胴上げされるのと違って、ちょっと寂しいすがたです。 | 胴上げが、合格発表の場面などでよく見うけられます。(遊びたい気持ちをよくガマンして勉強したね、おめでとう)。「我慢」のもとの意味は、実は「胴上げ」が象徴しています。「慢」という字は「思い上がりの心」を示しています。どのように思い上がるのかというと、我というものにこだわって、自分で自分を胴上げ?するのです。みんなから胴上げされるのと違って、ちょっと寂しいすがたです。 |
2007年9月6日 (木) 15:06時点における最新版
胴上げが、合格発表の場面などでよく見うけられます。(遊びたい気持ちをよくガマンして勉強したね、おめでとう)。「我慢」のもとの意味は、実は「胴上げ」が象徴しています。「慢」という字は「思い上がりの心」を示しています。どのように思い上がるのかというと、我というものにこだわって、自分で自分を胴上げ?するのです。みんなから胴上げされるのと違って、ちょっと寂しいすがたです。
仏教は諸法因縁生(しょほういんねんしょう)を説いています。すべてのことはお互い因となり縁となりながら、深く関係しあって存在しているということです。そこに私たちを支えている大地があります。しかし、その諸法因縁生を無視すれば、自分を支える大地をも失ってしまい、あとは自分で自分を支えるしかありません。自らを高く挙げる(高挙)ことによってしか生きることができないと思い込んでいる私たち。我慢とは、諸法因縁生に暗いという「根本的な迷い」を生きる私たちのすがたを指し示しているのです。
たとえどんなに謙虚でガマン強い人でも例外ではありません。わたしたちは、仏の言葉をとおして、諸法因縁生という大地の存在を知らされることがない限り、永遠に自分で自分の胴上げをしていくことになるのです。
「猶(なお)し大地のごとし、浄穢(じょうえ)・好悪(こうお)、異心(いしん)なきがゆえに」(真宗聖典55頁)。大地を知らされ、自らの胴上げから解放された仏弟子たちの感動の言葉です。
埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補
月刊『同朋』2002年3月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |