「有頂天 (うちょうてん)」の版間の差分
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志望校に合格できて大喜び。仕事の功績が認められ昇進も果たし鼻高々。結婚式、この日ばかりは二人は大スター、幸せの絶頂。わが子ほど可愛い子どもはどこにもいないと溺愛状態。宝くじにヤッタヤッタの大当たり。だいたい、こういう状態を一般的には「有頂天」といいますね。 | 志望校に合格できて大喜び。仕事の功績が認められ昇進も果たし鼻高々。結婚式、この日ばかりは二人は大スター、幸せの絶頂。わが子ほど可愛い子どもはどこにもいないと溺愛状態。宝くじにヤッタヤッタの大当たり。だいたい、こういう状態を一般的には「有頂天」といいますね。 |
2007年9月6日 (木) 15:05時点における最新版
志望校に合格できて大喜び。仕事の功績が認められ昇進も果たし鼻高々。結婚式、この日ばかりは二人は大スター、幸せの絶頂。わが子ほど可愛い子どもはどこにもいないと溺愛状態。宝くじにヤッタヤッタの大当たり。だいたい、こういう状態を一般的には「有頂天」といいますね。
人生における最高の喜びでしょう。しかし、この人間においての最高の喜びを表す「有頂天」は、仏教においては最高の迷いを表す言葉なのです。確かに「有頂天」とは、色究竟天(しきくきょうてん・色界の第四天)とか、非想非非想天(ひそうひひそうてん・無色界の第四天)とかいわれて、精神世界の最も高い位を表す境地です。この境地がなぜ仏教では迷いだといわれるのでしょうか。
それはこの「有頂天」こそが、万人共生の大地(いのちのつながり)から離れて、自分ひとりだけ高きに昇ることを善しとする生き方だからです。つまり、すべてのかかわりを閉ざすことによって、大安心を得る世界であるから、それは迷いだと仏教ではいうのです。
その意味では、さまざまな現実問題に関わることもしないで、有頂天の世界に大安心して、見ない、聞かない、言わない、と傍観者を決め込む生き方が問われます。
尾畑文正 おばた ぶんしょう・同朋大学教授 月刊『同朋』2002年11月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |