「法螺を吹く (ほらをふく)」の版間の差分
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2007年8月5日 (日) 19:56時点における版
「法の鼓を打ち鳴らし、法螺を吹き、法の剣をとり、法の幢を建て、法の雷を震い…」(『真宗聖典』3頁)
『大無量寿経』には、目覚めた法を衆生に説きひろめる仏・菩薩の姿が、さまざまな事柄にたとえられています。「法螺を吹く」ということも、そのひとつです。
これは、説法の場に人々が集まってくる様子を、巻貝(螺)で作った楽器を吹き鳴らして人々を集めたことに、たとえたものです。「法螺貝」という名そのものが、仏法を説きひろめる螺という意味を示しています。
ところが、法螺の音色を聞いて集まってみると、そこにいたのは「ほら吹き(実力以上に、いつも大げさなことを言う人)」だった…。
法螺を吹くように人々に法を説いてまわったのはお釈迦様でした。しかしその弟子である私たちが、法螺を吹くというたとえを「うそをつく」ことに変質させてしまったのにまちがいありません。
源信僧都の『往生要集』には、地獄に堕ちる者として「虚食信施者(むなしく信者の布施を食べる者)」が説かれています。また「不浄説法(覚ってもいないのに、さも覚ったように説法すること)」の者は餓鬼道に、そして信者の布施を自分のものにしながら、まったく罪の意識のない者は畜生道に堕ちると説かれています。地獄とは、仏弟子であることを名のった者だけが堕ちるのです。
私たちはその地獄の底で、私たちのために鳴りひびく「法螺の音」をこそ、真剣に聞かなくてはならないのです。
埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2003年11月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |