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「道場 (どうじょう)」の版間の差分

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2007年8月5日 (日) 19:56時点における版

法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 往生は「あきらめてじっとしていること」。他力本願は「他人の力をあてにすること」など、意味が全く変質して伝わっています。「がらんどう」は「中身のない空虚なこと」という意味ですが、寺院を意味する「伽藍堂」が語源だとすれば、私たち仏教徒にとっては、耳の痛い言葉でもあります。

 ところで、17世紀初頭の※日葡辞書で「道場」を調べてみると「一向宗の寺」「後生の道」という意味が出てきます。道場は、本来お釈迦様のさとりの場を指す言葉ですが、それが特に念仏修行の場を指す言葉として日本で芽吹き、現代にも通用していることは奇跡的なことです。また剣道や柔道の道場は、そこから派生したものです。

 しかし道場にも危機がありました。

 そもそも道場は、お念仏をよろこぶ人たちが集まって信心を語り合った場がその始まりです。後に僧侶が入り、祖先崇拝の祭祀をつかさどる仕事を受け持つようになることで、寺の威儀を求めて「○○寺」という寺号を取得していきます。そうなると道場は、寺にしない所、寺になれない所、寺よりランクが下がる所の名となりました。そして、お釈迦様のさとりの場というすばらしい名が、人々から軽んじられる意味に変質していったのです。

 1981(昭和56)年、真宗大谷派宗憲が改正され、東本願寺は「根本道場」を名のりました。本来の意味の回復です。今こそ「お釈迦様のさとりの場、念仏修行の場」にふさわしい本来の道場を、名実ともに回復していきたいものです。「道場」の意味を「がらんどう」にしないために。

※1603年に刊行された日本語・ポルトガル語の辞書


埴山和成 はにやま・かずなり 大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2003年7月号より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。