「大丈夫 (だいじょうぶ)」の版間の差分
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2007年8月5日 (日) 19:56時点における版
<世間の会話>
Aさん「小さい時はひ弱だったのに、ずいぶん丈夫な身体になったね。それにこんなにしっかりした丈夫な家も建てて。あ、ところでCさんとの関係は大丈夫なのか?」
Bさん「ああ、ダイジョウブ大丈夫だよ」
<仏教語訳>
Aさん「小さい時は体も弱かったけれど、『仏になる志が強い人は、どのような困難をもモノともせずに立ち向かっていける』ことにたとえられるような、しっかりとした身体になったね。それにこんなに立派な『どのようなものにも揺るがない強い志』を形に現わしたような家も建てて。あ、ところでCさんとの関係は『いつ、どこにあっても忘れないはっきりとした成仏道への志』のように、大切にしているんだろうね」
Bさん「ああ、志は、はっきりしているよ。ふたりの関係を深めて、どのような困難をも受けとめていける浄土に開かれた家庭を作っていくよ」
『大無量寿経』に、完全にさとりを得た人(仏)の別号として『調御丈夫(じょうごじょうぶ)』があります。「優れた御者(ぎょしゃ)が見事に荒馬を調教するように、仏に成っていく志が人間を調教し制御する」という意味です。A、Bさんは無意識の内に仏教の伝統の中にいて、すごい会話?をしていたのです。
ただ、「丈夫」は男性という意味がもとです。個人の資質、能力や性差、社会性に成仏道の根拠を置く自力の教えは、「志堅固(けんご)」を「男性」で喩(たと)え、女性を貶(おとし)めてしまいましたが、「丈夫」の世俗化は「しっかりしている」意味だけを伝えています。今、仏教語として捉え直す時に忘れてはならない事柄です。
埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補 月刊『同朋』2001年9月号より
出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。 |