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善哉 (ぜんざい)

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法輪

えっ!仏教語だったの?

愛_(あい)
悪魔_(あくま)
ありがとう
暗証_(あんしょう)
一大事_(いちだいじ)
一蓮托生_(いちれんたくしょう)
有頂天_(うちょうてん)
縁起_(えんぎ)
往生_(おうじょう)
億劫_(おっくう)
開発_(かいほつ)
我慢_(がまん)
祇園_(ぎおん)
快楽_(けらく)
玄関_(げんかん)
金輪際_(こんりんざい)
三蔵法師_(さんぞうほうし)
三昧_(さんまい)
四苦八苦_(しくはっく)
邪見_(じゃけん)
邪魔_(じゃま)
受持_(じゅじ)
精進_(しょうじん)
世界_(せかい)
世間_(せけん)
殺生_(せっしょう)
刹那_(せつな)
善哉_(ぜんざい)
退屈_(たいくつ)
大衆_(たいしゅう)
大丈夫_(だいじょうぶ)
達者_(たっしゃ)
他力本願_(たりきほんがん)
畜生_(ちくしょう)
超_(ちょう)
道場_(どうじょう)
道楽_(どうらく)
内証_(ないしょ)
ばか
悲願_(ひがん)
不思議_(ふしぎ)
法螺を吹く_(ほらをふく)
微塵_(みじん)
迷惑_(めいわく)
利益_(りやく)
臨終_(りんじゅう)
流行_(るぎょう)
流通_(るづう)
仏教語だったの

 “善哉(ぜんざい)”という食べ物は、甘党にとってはこたえられないものらしい。砂糖をたっぷり入れて、真赤な小豆に艶(つや)が出るほど煮込んだ甘い汁に、真白なお餅を浮かべた風情は、何ともいいもので、甘党でなくても食指を動かされるものである。しかし私のように酒を嗜(たしな)む者は、敬して近づかず、といったところであろうか。ともかく"善哉"というと現代では、ほとんどの人が、甘いそれを想像するであろう。しかしもとは、お釈迦様さまが、真理にかなっていることを讃(たた)える時に、"善きかな"とおっしゃられた言葉として、経典によく出てくるのである。日本のあの甘い食べ物とは、およそ関係がないようである。

 この“善哉”という言葉で第一に思われることは、親鸞聖人が一番大切にされた経典である『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』の教えが、この言葉から説かれることである。覚(さと)りを開いた仏弟子でなく未だ欲を離れることができない阿難(あなん)がある日、今日のお釈迦様は人間としてのお釈迦様と違って、我々を救うために、真如(理)から来てくださった如来としてのお徳で輝いているのはなぜでしょう、とその尊いお姿に驚いて問うのである。お釈迦様は、未離欲の阿難が、苦悩する一切の人々の深い悲しみを代表して、それを救う如来と仰いだことを喜ばれ、「善哉、阿難。問いたてまつるところ甚(はなは)だ快(こころよ)し」と、その問いを讃えるのである。

そして今日こそ、お釈迦様が如来としてこの世へ出られた本当の意義を説く時が熟したと悦(よろこ)ばれ、その如来の究極の目的が、一切の人々を救う阿弥陀如来の本願(ほんがん)と南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)を説くことにあったと、明らかにされるのである。阿難尊者(そんじゃ)のこの問いによって、お釈迦様の仏教が念仏として世界中の苦悩する人々を救う道となり、だからこそ同時にまた仏教があらゆる人にとって真理ともなったのである。その大切な仕事を果たした阿難尊者を、お釈迦様は"善哉"と讃えたのである。

 あの甘い“ぜんざい”を食べたお坊さんが、あまりの美味しさに驚いて、思わず“善哉”と叫んだところから、お釈迦様のこの意味深い言葉が、甘党にはこたえられない食べ物の名前となったのだそうである。


延塚知道 大谷大学教授・真宗学 大谷大学発行『学苑余話』生活の中の仏教用語より


 出典と掲載許可表示(東本願寺出版部発行の月刊『同朋』)から転載しました。