人生とは その日その日の法縁である
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![]() 法語法話 平成16年 |
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他力と言うは 如来の本願力なり |
いままで見えていなかった世界を… |
人生とは その日その日の… |
仏光のもとにわれかしこしの… |
他力の信心を獲得するのは… |
私のあたまにつのがあった… |
手に合わない厄介な我の心… |
念仏の道は… |
生きている という事は… |
自力の念仏そのまんま… |
失敗はむしろ自分を知るために… |
かけがえのない自分の人生を… |
私どもが自力と考えていること… |
金子 大榮(かねこ だいえい)
1881年、新潟県生まれ
『聞思室日記』(コマ文庫)より
「清沢(きよざわ)先生のご恩を受けていないものはいない!」
清沢満之(きよざわまんし)記念館創設委員会の事務局で、事務を執(と)っている真っただ中に、九州のT氏から、こういうお電話がありました。
嬉しいというか、文句なしというか、「よくぞ言ってくださった」とじかにいただくことができました。
日々いろんなことが言われ、注意され、落ち込むことばかりなのです。両胸が痛くなり、時々頭もふらふらしているのです。
そんな時、この一言をそのままいただくことができたのです。
一般的に、平たく言えば、清沢満之先生は、「大谷大学の初代学監(しょだいがっかん)でいらっしゃった」「わが宗門の清沢先生が出てくださったのだ」「明治の親鸞(しんらん)今ここに」と崇敬(そうきょう)されていらっしゃるお方なのです。しかし、私にとってはただ一筋だけなのです。
清沢先生のお弟子さんは暁烏敏(あけがらすはや)先生、暁烏先生のお弟子さんは林暁宇(はやしぎょうう)先生、私のところまで仏教を。
逆にさかのぼれば、林先生のお師匠様は暁烏先生。暁烏先生のお師匠は清沢先生。
蓮如上人(れんにょしょうにん)、親鸞聖人、法然上人(ほうねんしょうにん)、七高僧(しちこうそう)、釈尊(しゃくそん)、あみださま。
「太陽の恩を受けていないものはいない」
「空気の恩を受けていないものはいない」
「大地の、水の、樹木の、花の、風の、雨の、雪の」と、無限にこのおことばは、私の中で広がっていったのです。そうして私の父、母の、祖父母の、つれあいの、子どもの、孫の、兄姉の、学校の先生の、友人の、隣人(りんじん)の、お寺の住職さまのと、大きく広がった憶(おも)いが、また、身近なお方へと戻ってこられたのです。
往来自在(おうらいじざい)に。
考えることのできる頭脳までも、こうしてペンを動かしている手までもが恩を受けておりました。
私が生まれたままの赤ん坊で誰にも教えてもらっていなかったら、箸(はし)を持って御飯をいただくということはできなかったはずです。私を育ててくれた家族のおかげです。何も知らない私が字一つ覚えたのも、鉛筆を45度に持って書くことも、学校の先生がおられなかったら書けなかったかもしれません。学校教育のおかげです。
今、私がこのようにあるのは「その日、その日の法縁である」といただきました。
友人は「この世に記念館が必要なものであればできるよ」と、いとも簡単に言ってくれましたが、私は「そうかもしれないけど、そう簡単に言い切ってくれてもついていけない」ものがあります。
今まさに、清沢満之記念館建立(こんりゅう)の悲願(ひがん)が成就(じょうじゅ)しつつある道中であります。どうなるのか、一寸先のわからない小さな私です。師の「必ずできるよ」のおことばの中で生かされています。
寒き日も温かき日もあり若緑 欣笑
酒井 笑子(さかい えみこ) 1935年生まれ、愛知県在住 岡崎教区順慶寺宗徒・清沢満之記念館創設委員
東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載
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出典と掲載許可表示(真宗教団連合のHP)から転載しました。 |