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念仏の道は 如来の聞かせたまえる 人間の道である

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池山栄吉(いけやまえいきち)先生は、大谷派本願寺からの欧州留学にてドイツから帰国後、明治35年に真宗大学(大谷大学の前身)の教授となられました。30歳をすぎた頃から求道学舎(ぐどうがくしゃ)に近角常観(ちかずみじょうかん)師をたずね、やがて『歎異抄(たんにしょう)』とであい、42歳のとき信心開発(しんじんかいほつ)の人となり、「常念仏の人」といわれたそうです。

 往生(おうじょう)されて16年後の昭和39年、先生の高徳を讃(たた)えるべく、名号碑(みょうごうひ)が京都西山の淨住寺境内(じょうじゅじけいだい)に建立(こんりゅう)されました。ずいぶん以前のことですが、私もそのことを聞きおよび、参拝をさせていただいたことがありました。たしか石碑(せきひ)は先生自筆の文字が刻(きざ)まれてあり、裏面には善導大師(ぜんどうだいし)の二河白道(にがびゃくどう)の譬喩(ひゆ)にある「汝一心正念直来(なんじいっしんしょうねんじきらい)(そなたは一心にためらうことなくまっすぐに来るがよい[教行信証現代語版185頁])」という文に添えて「オネガイダカラスグキテオクレヨ」という言葉が記されていたのが印象に残っています。

 親鸞聖人は「発願回向(ほつがんえこう)といふは、如来(にょらい)すでに発願(ほつがん)して衆生(しゅじょう)の行(ぎょう)を回施(えせ)したまふの心(しん)なり」(註釈版聖典170頁)と示されます。「発願回向(ほつがんえこう)とは、阿弥陀仏(あみだぶつ)が因位(いんに)のときに誓願(せいがん)をおこされて、わたしたちに往生(おうじょう)の行(ぎょう)を与(あた)えてくださる大(おお)いなる慈悲(じひ)の心(こころ)である」(現代語版75頁)という、その聖人のお示しに相応するかのように、「どうかまことの親心に気づき、迷うことなく、まっすぐに、本願の道をあゆんでください」との大切なお諭(さと)しとして、胸に刻(きざ)んだことでありました。

 蓮(はす)は、朝日を受けて花開き、午後には花を閉じ、数日開閉を繰(く)り返(かえ)した後、散っていくといわれます。また蓮の果実は千年を経過していても、泥の中で発芽させることができるといわれています。事実、大賀(おおが)一郎博士は二千年前の弥生(やよい)時代の地層から蓮の実を発見し、その実を発芽、開花させたことでよく知られています。

 濁水(だくすい)のなかにありながらも決して染まらず、美しく咲きいずる蓮の華(はな)。それは、煩悩(ぼんのう)の濁(にご)りの世にあり、限りある無常のいのちを生きる身でありながら、有為転変(ういてんぺん)のこの世を場としてはたらく誓願のおちからによって、限りなき常住無為(じょうじゅうむい)の涅槃(ねはん)界にいたるべき尊き念仏の人となる、という事柄をまさに象徴的に表現しています。

 「常念仏の人」といわれた池山先生は、「広大勝解者(こうだいしょうげしゃ)(すぐれた智慧を得たもの)」「分陀利華(ふんだりけ)(白蓮華(びゃくれんげ)のような人)」として、もろもろの仏がたから称賛(しょうさん)される、まさに真の人間の道をあゆまれた方であったといえましょう。


貴島 信行(きしま しんぎょう) 1951年、大阪生まれ 真行寺住職・龍谷大学講師・中央仏教学院講師・本願寺派布教使



本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。