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失敗はむしろ自分を知るために必要な材料である

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よく「失敗は成功のもと」などと申します。この言葉は「失敗をしても、それを反省し欠点を改(あらた)めていけば、かえって成功するものだ」という意味です。また成功するとは、一般的に地位や名声(めいせい)、富を得ること、また事業が成就(じょうじゅ)することであったりしますから、そうした目的に導くために失敗がある、という意味合いも含まれています。

 しかし、そうした観点とは異(こと)なり、今月の言葉は「失敗は、自分自身を思い知るために必要な経験である」と述(の)べられているのです。何が成功を意味するか、何が人生の目的であるかは、人によってさまざまでありましょう。

 ここではとくに「成功するための失敗」という発想ではなく、失敗によってほんとうの自分自身と出会っていく、己(おの)れの弱さや愚(おろ)かさを思い知っていく、そこにこそ尊い意義があるのではないか、といわれているのです。富と名声を獲得(かくとく)して人生の勝者となる、という世俗的な目標ではなく、真の自己(じこ)を確立すること、まことの自己に目覚めていくことの大切さを教えられているのではないかと思われます。

 千日回峰(せんにちかいほう)の行者(ぎょうじゃ)として知られる光永覚道(みつながかくどう)師は「苦労は背負って歩くと重いが、身につけると軽い」といわれました。

 念仏に生きた六連島(むつれじま)のお軽(かる)さんは「重荷せおうて/山坂すれご恩おもえば/苦にならず」と歌われています。

 そういえば、私が今までに出会った念仏者には、確かに光永師やお軽さんのように、苦労を軽やかに、そしてご恩を深くよろこんで生きられた方が数多くおいでになりました。子どもの頃には、お年寄りが時折、そうした人のことを「あの方は苦労が良く身についた人だ」などと話されていました。

 それぞれ「難行道(なんぎょうどう)」「易行道(いぎょうどう)」と悟(さと)りへの歩みは違っても、そこには苦悩を離れ得ぬ人間の道ではありながら、苦悩を超(こ)えしめる成仏(じょうぶつ)の道として、軽やかに、しなやかに生き抜く智慧(ちえ)が光っています。

 平沢興(ひらさわこう)先生は、京都大学の総長をつとめ、ご専門の医学の世界でも解剖(かいぼう)学をきわめられたお方でした。親鸞聖人の教えに導かれ、自分の心をも仏の智慧によって解剖することができる達人ではなかったかと思われてなりません。

 先生は「苦労をしても目標をもっている人は、人間が光っている。人生に無駄なことはない。まことに生きるということは、大自然から与えられた人智(じんち)の彼方(かなた)からの生命力によるものである」といわれます。

 苦労も無駄も失敗も、ひとえに「彼方からの生命力」によって、光り輝くものとなるのです。


貴島 信行(きしま しんぎょう) 1951年、大阪生まれ 真行寺住職・龍谷大学講師・中央仏教学院講師・本願寺派布教使



本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。