六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
提供: Book
2007年9月14日 (金) 19:29時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: '{{houetu04}} 竹や まあ いなあいや<br /> 竹はなあ この世の きりかけを すまして<br /> 参らしてもろうたわいの おらあ とろ...')
竹や まあ いなあいや
竹はなあ この世の きりかけを すまして
参らしてもろうたわいの おらあ とろいだで
一番あとから 戸をたてて 参らして もらうだがよう
(足利 源左)
随逐
鳥取県山根の源左の次男は二十一才の時、気が狂った。長女を失い水害で田を失ったショックからである。松の木にのぼったりして、人をてこずらせた。狂ったまま歩けば、父源左は、その竹蔵に何もいわずに後について歩いた。日暮れになった時、竹や、もう往のうや・・・竹や、もう帰ろうよというのである。竹蔵は素直に帰る。親である。親子一緒に気狂といわれても親なのである。
慈悲、随逐すること犢子(とくし)の如し。親牛のあとつく子牛の如く子のあとに随(したが)い逐(お)う、親である。その後、竹蔵はすぐなおって十一人の父になった。そして源左が八十才の時、竹蔵は四十九才で先立っていった。この年、大正九年一月には、長女ゆうも、嫁ぎ先で死んだ。五十八才。源左が悲しんだであろうか。
分
悲しい。竹には竹の人生がある。竹は自分の分を早めにすまして、お浄土に参らしてもらった。長女のゆうも、参らせてもらった。妻くにも十三年前にいった。弟二人、妹一人、先立っていった。この源左は、のろいのでまだ残っている。最後に戸締まりをして、旅に出る身であろう。
(昭和四十一年六月)