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八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

若葉して おん眼のしずく ぬぐわばや
             (松尾 芭蕉)

 初夏のよさは新緑である。葉がやわらかいことを知っているので、緑までやさしい感じである。したたるような緑という。新緑のこの頃は、全体が何かやわらかくみずみずしい好季である。鑑真和上のお像(すがた)も、唐招提寺の若葉の中で、殊に生き生きと拝されたのであろうか。

 鑑真和上は支那の人である。約千二百年前、日本に招かれて海を渡りかけては嵐に遇って引き返し、五度失敗し、そのうちに眼、盲いて最初から十二年目に日本に来着し、日本仏教を指導した。日本に住すること九年にして、七十五才で寂された。いかにしても、海を渡ろうとしたこの方の意気に感じないものはない。盲目とは、この上もない不幸である。その不幸な盲いの和上は、遂に日本に上陸した。その時見えない目に涙をにじませて、この国の土を踏みしめ景色を想うたに違いない。

 鑑真和上をして、うまずたゆまず、日本へかり立てたものは何か。一個の仏者、鑑真の衆生に仏法をという深い慈悲ばかりであった。

 おん眼のしずくは、和上の慈悲の涙。盲目からにじみ出るのである。やわらかい若葉でぬぐってあげよう。お辛うございましたねエ、和上さま。

(昭和四十二年五月)