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七十 非常識 「臼杵 祖山」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

除かるる 身にしあれども み仏の
救いたまへる めぐみ尊し
             (臼杵 祖山)

平均

 臼杵先生といわれて多くの人から慕われたこの方は、昭和二十三年七十六才で亡くなられました。この方を知っている方も現に多い。私の兄二人は、この師の許で、中学五年間をすごしている。大分県に生まれ、法隆寺の佐伯定胤師に学び、ある時は防府に住み、大分県中津で終わられた。一生、妻なし。数人の書生をおいてのくらしは、

汝は薪をとれ 吾は水をくまん (広瀬 淡窓)

という風であった、と私の兄はよく話した。

 かねて一団の人々とお経の稽古をしたことがある。たとえば、お経本の頂き方、頂く時なかなかうまく出来ない。一回目では、百人中、九十人がちがう。二回目で六十人がちがう。実際にやってもらうのである。三度目でも四十人がちがう。四度目でも二十人がちがう。八回目でまだ十人がちがう。もうこれで、その練習はやめる。するとその十人は、正しいのを覚えないままである。

以下

 世の中は、常識の人、平均的水準の人が主である。十方三世の諸仏は、平均以下を切捨て給う。平均以下、最後の一人を切捨てない、弥陀の本願。親をも殺しかねないこの身、お経本の頂き方、八回けいこしても覚えぬこの身。他力は常識とはちがう。

(昭和四十一年七月)