七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
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久しく妄心に向って 信心を問う
断絃を揆して 清音を責むるが如し
何ぞ知らん 妙微梵音のひびき
劉喨 物を悟らしむ 遠くかつ深し
(深諦院 慧雲和上)
割れた尺八
この八月、江津市(ごうつし)の小川さん方を訪ねた。昨年四月に訪ねたのが、四度目であった。小川市九郎さんは、一昨年五月、八十五才で亡くなった。
いつもたくさんの話をしてくれた。私は尺八を吹きますでナ、ではじまる話。 ある時、愛用の尺八を縁からおとした。石にあたって割れたので、鳴らなくなった。
シュロ縄でしめても鳴らぬ。ああもし、こうもする。鳴らないでおると、ニイさんが、おとうさん割れた尺八は鳴りません。私が浜田から買うて来ましょうと、いいましてナ。
新しい尺八は、まことによく鳴った。目が見えず、歯のない者の吹く尺八は、なんぼ浜田でもなかろうと思ったが、ニイさんがいいのを買ってくれたのである。ニイさんとは、あとつぎの小川静雄さんである。
ニイさんは、いいことを言うてごした。割れた尺八は鳴りませんてナ。鳴るかと思うて、ああもし、こうもしましたがナ。
梵音(ぼんのん)
久しいこと、信心信心といって、わが心に計うたが、絃(つる)の切れた琴を揆(はじ)いて、いい音がせぬと腹立てたも同じ。必ず助くるの呼び声聞いてみりゃ用意の出来たる呼び声一つの尊さよ。
(昭和四十一年十月)
劉喨(声や音のさわやかで澄んでいるさま。)