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六十三 煩悩の過去 「九条 武子」

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Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

過去といふ またもかなしき 暗がりの
なかに空しく 今年も入るや
          (九条 武子)

歳暮

 貧乏人である私も師走となると少しあわただしい思いになる。今年も終るなァとい思いも次第に募る。何年かの歳の暮れをやって来て、今年の暮をその上に積みかさねるのである。いろんな人々とのおつきあいの一年であった。つきあいのなかには、けんかも含まれる。人はどこで育てられるのかといえば、おつきあいにおいてである。

おつきあいは、すべて快くはない。一年、一体何人と関係するのであろうか。この一年、おつきあいの巷にすぎた。憶えていたくないこともある。年の瀬に、にがにがしいことを思いだす。もう一度あってほしい快い思い出もある。総じて人の世の巷に生きて来たのである。そこで私なりに育てられた。決して清浄な一年に育てられたのではない。

過去

 この一年は、煩悩の一年であって、煩悩の歴史にこそ、わが道場であった。昨年も、その前も、そうであったように、今年も、悲しき煩悩の過去であった。自らの業であって、立ち戻って繕うわけにわゆかない。過去とは、不分明な一団である。悲しく暗い塊である。そこに宝石の粒は光っていない。今年をそこへ送る。

(昭和四十年十二月)