操作

七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」

提供: Book

Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

一、念仏は 申さねばならぬと はげむ人に
  自力あり 他力あり

一、報謝 つとむれば快く 怠れば心地あし という人に
  自力あり 他力あり
           (憶念寺 良雄和上)

信仰の深化

 良雄和上は、百三十年前に六十二才で亡くなられました。福井県のお東の御住職でした。人々の信仰の外と内とに、深く思いをめぐらした。御法義を弘通(ぐづう)することに細かく心を用いた。

 そして人の心は外にあらわれた言動でしかわからないことを、本としながら、また外にあらわれた言動は、全く同じであっても、心がちがうことも考えた。真宗念仏の人は、いかに生きるべきかを問題とした。

 考えれば信仰はお育てに身をまかせる。すなわち信仰は深化する。深化するに従って心がかわる。ある場合、外形の行いや言葉は見事な他力の姿であり、それだから名僧からほめられ、実は心の自力の人もある。だから人は、自分の言い方や行いの心は、他力の考え方を反省するがよい。

 功徳という語がある。自分の功徳にするか、功徳のまね事をまじまにさしてもらうか。

 他力の信仰は、その深化の進みに従ってはじめて自分の功徳と思い中途で一切の功徳をなげ出して、名号の独用(ひとりばたらき)とし、後にそれ故に、及ばずながら如来のよしと思し召すことをさせてもらうようになる。お聴聞の上は、仏恩(ぶっとん)の深重(じんじゅう)な事を思って人の批評に拘わらず念仏申せ。心よりも行いである。

(昭和四十一年九月)