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七十四 うその皮 「浅原 才市」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

わがこころ みえもせず
りん十にみえるこころが をにとなる
あさまし あさまし
あさましいのも をそのかわよの
かわかわ をそのかわ をそのかわ をそのかわ
をそのかわ をそのかわ
あさまし あさまし あさましのも をそのかわ
             (浅原 才市)

 才市は自分の心にごまかしを許さなかった。罪の深い心だとか、あさましいと言っても、なかなか芯からではない。ただ臨終に、わが身をおいて考えると、ぬきさしならぬことがわかる。

 人生の最後、ごまかしの効かぬ時、生涯のごまかしの歴史、その生涯中かけて育った心が迫る。平生は、いい加減な心ですごして来た自分の心がわかる。身に従うものは、後悔の涙のみ。

虚仮

 実際あさましい心である。しかし、あさましいという時、なおいい加減な心である。あさましいというのも、うそですわね。やっぱり、うそですわね。

 ああ、われらには真実の心はないのであろうか。仏さまの光明に照らされて、わが身のあさましさを知らせてもらうというが、ほんとうかナ。

 真宗は、われわれに宗教的反省を要求しない。真宗には、常識的懺悔はない。懺悔も反省も所詮うそだ。うその皮だ。懺悔もうその人間を五劫思惟された真宗=他力を聞く一つ。

(昭和四十一年十一月)