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七十六 中ぐらい 「小林 一茶」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

我春も 上々吉ぞ 梅の花
         (小林 一茶 四十九才)

目出度さも ちゅう位也 おらが春
         (小林 一茶 五十七才)

上々吉

 明けましておめでとうございます。昨年まですっと会報を愛読されてありがとうございました。今年もお読み続けて下さい。

 新年は快いものでございます。年々に迎うるお正月で、することも変りはないが、年々に想いはちがう。ちがうのが本当でありましょう。

 人の心は進歩せねばならぬ。しょうもない正月もあれば、よしやるぞという正月もある。晴々と新年の気満つる年もあれば、晦日とどれ程のちがいがあると思う年もある。

 意気ある男の若い時、一年の計は元旦にありというから、仕事は順調だぞ、今年の出足はいいぞ、何と目出たき正月かな、と張切るものである。

 一茶の四十九才も、そうであった。よりより魂のかびを洗い、つとめて心の古みを汲みほす鋭い精神であった。

中位

 一茶は五十才を越して、真宗を聞いた。そして育てられた。

吹けばとぶ 屑屋は 屑屋のあるべきように

門松も立てず あなた任せに むかえける

 あなた、すなわち如来様である。一茶は、上々吉と喜ぶ心から、中ぐらいをよしとする心に育ったのである。上等をよろうとすると、大抵失敗する。中ぐらいをやろうとするがよい。己を知るというものだ。

(昭和四十二年一月)