六十一 愛語 「道元禅師」
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愛語というは 衆生を見るに まず慈愛の 心を おこし
顧愛の言語を ほどこすなり
愛語を 好めば ようやく愛語を 増長するなり
しかれば 日頃しられず 見えざる愛も 現前するなり
(道元禅師)
僧
道元禅師は、御開山81才の時、五十五才で亡くなられた方。曹洞宗の開祖である。弟子を養うこと、きびしいお方であった。しかし、仏道を行する者には、無限の愛が育つ。きびしさの底にあったのは、深い衆生愛であった。
世間一般の愛は、広さをもたない。必ず憎しみが裏側にある。むしろ憎しみの中に咲くわずかな花が、世の一般の愛であるかも知れない。
政治上の論議を聞いてもそうである。人間不信、憎悪、疑惑、怒りの会話である。若い新聞記者達の文章は、一見、民衆に愛ある人のように見える。しかし、その愛情らしきものは、必ずある一部の人に対する憎しみを込めている。その憎しみは、正義の名のもとに、よきことと思われている。
愛
一切の人々に愛語を用いよ、暴悪な語を用いるなと、禅師はいう。正義の名のもとに暴言を用いるな。いついかなる時も、愛語を用いて自らを訓練せよ。そうすれば愛が生じる、というのである。
誰かを愛せずして、誰かを愛するは、本当でない。愛語で訓練せよ。
(昭和四十年十月)