七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
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心のいかりを 絶ち
おもてのいかりを 捨て
人のたごうを 怒らざれ
(聖徳太子)
怒り
おはなはんというテレビジョン放送劇は、ながいことたくさんの人々に見られた。劇中のおはなはんはまことに立派な人物として、画かれていた。この放送を喜んだ人の多くは、自分もこの人物のようにありたいと思って見たとのことである。
私はそのことが、好かんのである。おはなはんの言行を支える精神が示されなかったことは、問題にされていない。おはなはんには、宗教がない。心に腹を立てず、顔にもしかめ面をせず、人を責めないというのは、おはなはんの態度でもあるが、聖徳太子憲法の心でもある。
しかし、太子の憲法には、それを支える精神が示される。そしてその底は深い。我も彼も、ともに凡夫である。外なる言行が、心の努力で飾られているか、信仰の行動であるか。人を相手にするか、如来の中に、あるかで大違いである。
恕(ゆる)し
それにしても近頃は、怒りがほめられすぎる。政治や社会について怒りが大手をふってまかり通る。新聞の投書にも記事にも、いかりがよきことのように述べられる。それが正義のつもりである。
実は無責任な怒号である。最も大切で、だが難しいのは、恕しである。人を怒る資格はない。恕しこそが救いである。
(昭和四十二年四月)