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六十五 無常の愛 「外村 繁」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

私は 先妻を 亡くして 慟哭した
その反動のように 今の妻を 熱愛する
世間の人は そんな私を嘲笑する ・・・
私は この 慈悲の始終ないことは
徹底的に 知らされている
泣くことの空しい同様 愛することも 至って空しい
            (外村 繁)

 外村繁は、昭和三十六年夏、ガンで亡くなった。立派な小説書きでした。後妻も、乳のガンで亡くなりました。二人は一時、二人がガンであることを、相知りつつ生きた。この人は、滋賀県に生まれた。京都の三高を出て、東京の大学の頃、カフェの女給、とく子と一緒になった。高校の時、歎異抄にふれて驚いたが、しっくりしなかった。潔癖な青年、外村は、とく子と一緒になり子をなした。その人は、愛に身を染めつくしていった。親鸞聖人の言葉への抵抗がなくなっていった。聖人の厳しい言葉の背後に、しみじみと慈悲光の満ちあふれているのを感じた。愛に狂うてみて、自分の愚かさを思い知った。

無常

 この人四十七才の暮れ。とく子は四十六才、五人の子を残して亡くなった。昭和二十三年である。この人の愛情は、静かで深く瑞々しく妻を看病した。翌年すぐ貞子(ていこ)と結婚した。三十九才、初婚。また阿呆のように新鮮に、愛に蘇生した。利己的で浅ましい人間の愛に身を置くより外なかった。この慈悲、始終なし。無常の愛が生まれてくる。

(昭和四十一年二月)